ブラックロック・ジャパン 有田浩之社長に自身の金融パーソンとしての歩みをまじえながら日本の運用業界を振り返ってもらい、さらに「資産運用立国」として日本が盛り上がるためには何が必要か提言していただく(前後編)。

前編では、新卒で日本興業銀行に入行した理由、いまや世界一の資産規模を誇る運用会社「ブラックロック」へ転じるきっかけについて聞いた。

***
 

――新卒で日本興業銀行(以下、興銀)を選ばれた理由は何でしょうか?

興銀は、日本の産業の育成を目指した産業金融を担っていました。国民のなけなしの資金を債券で集めて、それを産業のために投下し、日本の産業を強くすることが目的です。

歴史を振り返ってみれば日本は、繊維、軽工業から始まり、化学や重工業へと重心が移り、やがて自動車が基幹産業になりました。そういう産業の移行を実現するために、国民の資金を集めて企業の設備投資のために長期貸出し、それを返済してもらって、また次の産業・企業へと貸出しをする、ということを行ってきたわけです。

日本は1960年代に世界第2位の経済大国となり、80年代後半から一時期、国民1人あたりのGDPがG7でトップになるという繁栄を迎えましたが、その過程で都市銀行を含めて銀行が担った間接金融の役割はとても大きかったと思います。私も、そうした仕事をしたいと考えていました。

――興銀では実際にどんな業務をされていたのですか。

最初は外国為替部で企業の外国送金の業務に携わり、その後、91年からはスイスの現地法人で、主に日本企業の証券発行をサポートする業務に就きました。そして本店の国際資金部を経て、96年からはニューヨークに駐在しました。その部署では銀行勘定の外国債券の運用担当となり、米国の国債・モーゲージ債(不動産担保証券)のポートフォリオマネジャーをすることになります。

――ニューヨーク駐在時代に、ブラックロックの方々と接点があったのですか。

そうです。当時、ブラックロックは創業して日が浅い、米国債券専門の独立系運用会社でした。そして、私は、モーゲージ債を中心とした債券ポートフォリオマネジャーとして、いかに大きな収益を上げて銀行に貢献するのかということにまい進していました。単純にいえば、リスクをとって100億円の利益を出すことが、リスクをとらずに10億、30億の利益を出すことよりも評価される世界です。当時の国際資金部はかなり大きな資金を運用しており、実績も上げていました。

しかし、ブラックロックの人にそうした話をしても、なぜか反応が薄い。「それは、そういう運用スタイルだからでしょ」とまったく響いていないのです。彼らがやっていた運用は、お客様と契約したガイドラインに沿って、ベンチマークよりも例えば100ベーシスポイント、アウトパフォームすることを目指したもので、50億、100億儲けるとかには関心がないというんです。それを聞いたときには、まさに“目からウロコ”でした。

運用会社がやっている運用業と、銀行勘定のプロップ運用とは似て非なるものだったんです。例えるなら、アメフトとラグビーの違いといったところでしょうか。同じフィールドで同じようなボールを使うスポーツでもルールが全く違います。銀行担当者のアカウンタビリティ(説明責任)は上司に対するもので、一方、運用会社のアカウンタビリティはガイドライン、すなわち投資家であるお客様に対するものなのです。当時の日本には、あまり普及していない業務でした。

――80年代後半、国内の資産運用ビジネスにはさまざまな規制が残っていて、例えば企業年金の運用に投資顧問業が参入できないような時代でした。

投資顧問業の法律ができたのは80年代後半ですよね。私が大学を卒業した頃も運用会社は存在していましたが、一般的な認知度はかなり低かったと記憶しています。
※「有価証券に係る投資顧問業の規制等に関する法律」のこと。

しかも、運用会社といっても、大手の銀行や証券会社、生保の子会社として設立されていたので、制度的にも不十分な面がありました。アセットマネジメントの「ア」の字もなかったといえます。それも当時としては致し方ないことで、先ほど申し上げたように、高度成長期には産業界はいかにお金を借りられるか、ライアビリティマネジメントに奔走していました。潤沢な資金さえ確保できれば、国内に新たに興す事業が多くあったのです。銀行を仲介とした間接金融が当時の大蔵省や通産省の方針とも合致しながら極めて効率よく機能し、産業界が発展していった時代でした。

ただ、振り返ってみれば、80年代後半以降、重厚長大型産業の比較優位が、新興国に移行していく流れの中で、国内に投資先を見出しにくくなっていきました。それでも貸出競争という成功体験から脱却できず、国内の余剰資金は不動産担保融資などに回り、バブルを生じさせました。

これが崩壊し、企業は資金を借りないばかりか懸命に借金の返済に奔走することになります。