介護への感謝が一瞬で消えた瞬間
父の死因は長く患っていた持病の悪化だった。生前の介護は主に、近くに住む雄也さんが担当していた。俊矢さんは仕事の関係で別の県に住んでおり、盆正月には顔を出す程度の関係性。日常的に父親と関わっていたのは雄也さんだった。その関係性に俊矢さんは感謝の念を抱いていた。だが、「遺言書の内容を兄と話して決めた」と聞かされた時、その感謝はどこかへ消えてしまった。
開封した遺言書には、こう書かれていた。
「雄也には、自宅と預貯金全額を相続させる。俊矢には、株式と母の形見である宝石類を与える」
法的な形式には問題はなかった。日付、署名、押印、すべてそろっている。正式な遺言書として十分通用する。
「これは……父さんが自分で書いたのか?」
俊矢さんが問うと、雄也さんは少し戸惑いながらもうなずいた。
「俺と話して決めたけど、書いたのは父さんだよ。そりゃ、俺の意思が介在していないわけではないけど、最終的には父さんの判断でこうなってる」
雄也さんの言葉は正しい。遺言書とは本来、亡くなった人が自分の意思で作成するもの。たとえ事前に家族と相談していても、それが自発的で法律的に正しい形式であれば、有効なのだ。しかし、感情は別だった。
「俺にも親を気に掛ける資格くらいある」弟の心の叫び
俊矢さんは雄也さんに問いただした。
「なぜ俺に相談してくれなかった? 相談されていることは言えなくとも、せめて『相続についてこんな風に考えてる』って一言でもあれば……」
雄也さんは言葉を選びながら答える。
「父さんがね、お前に気を遣ってたんだよ。仕事も忙しいだろうし、急に帰ってこいなんて言えないって」
「そんなの勝手な気遣いだろ。俺にも親を気に掛ける資格くらいある。遺言のことだって……俺の意見を聞いてくれてもよかったじゃないか」
俊矢さんの声は震えていた。怒りというよりも、どこか悲しみがにじんでいた。
●俊矢さんの心に残った「寂しさ」は、その後の兄弟関係にどのような影響を与えたのでしょうか。相続手続きを終えた兄弟のその後は、後編【「知らされなかった」が引き裂いた家族の絆…相続で“疑念と寂しさ”だけが残ってしまった悲しいワケ】で詳説します。
※プライバシー保護のため、事例内容に一部変更を加えています。