・バトルの末“失望”を表明… セブン&アイと物言う株主が対立する理由

東京ディズニーリゾートは2023年に開業40周年を迎えます。運営する「オリエンタルランド」の株価も、コロナショックを乗り越え上場来高値を更新しています。

【オリエンタルランドの株価(月足、2020年5月~2023年5月)】

 

出所:Investing.comより著者作成

【オリエンタルランドの業績】

※2024年3月期(予想)は、2023年3月期時点における同社の予想

出所:オリエンタルランド 決算短信

オリエンタルランドは2023年7月から算出が始まる「JPXプライム150指数」の構成銘柄にも選ばれました。今後、ますます投資家の視線が集まりそうです。そこで、オリエンタルランドの歴史や事業について振り返ってみましょう。

実はディズニーじゃなかった?なぜ浦安?TDR開業の歴史

オリエンタルランドは、京成電鉄と三井不動産らが共同出資して1960年に設立されました。前年に浦安市(当時は浦安町)で海面埋め立て事業が実施されることとなり、その開発を請け負ったのがオリエンタルランドです。

浦安はもともと漁業が盛んな地域でした。しかし戦後の復興で海域汚染が進んだため、漁業が衰退し始めます。そこで町は産業の転換を図る目的で大規模な埋め立て事業を決議し、千葉県へ要望します。オリエンタルランドは1962年に千葉県と浦安地区の開発について協定を結び、1964年に埋め立て工事の委託を受けることとなりました。

もっとも、オリエンタルランドは当初からディズニーの誘致を決めていたわけではありません。「東洋一のレジャーランド建設」は設立時からの方針ですが、計画段階ではゴルフ場やホテルなどの施設を集積させる案もありました。

またディズニー側も日本での開業に消極的だったとされています。1962年にオリエンタルランドはディズニーに協力を要請しますが、ディズニー首脳陣の来日は10年以上実現しませんでした。

オリエンタルランドは1972~1973年に欧米のレジャー施設を調査し、ディズニーランドの有望性を確信し、1974年に正式な誘致を申し入れました。オリエンタルランドは日本市場の将来性や浦安の立地をアピールし、同年12月に来日したディズニー首脳陣と基本合意を締結します。その後も交渉は続き、正式な契約は1979年にやっと結ばれました。

ディズニーを核としたテーマパーク事業は成功を収め、現在までに累計入園者数は8億人を突破しています。ディズニーとの蜜月関係は続き、2018年にはライセンス契約を2046年から2076年まで延長する契約が結ばれています。

【累計入園者数】

 

出所:オリエンタルランド 入園者数データおよび決算説明会資料より著者作成