日本橋「三井本館」の歴史

三井不動産を象徴する建物といえば「三井本館」でしょう。日本橋にある重厚かつ華麗な建築物は、関東大震災で被災した旧三井本館を立て直す形で1929年に竣工しました。内装に大理石がふんだんに使用されたほか、外装には全て花崗岩が用いられており、総事業費は2131万円(現在の価値で約1000億円)にも上ります。

三井本館は、三井合名の本社ビルとして機能したほか、三井グループの本社機能を集約させる役割を果たしました。地下にある米モスラー社製の重量50トンもの大金庫は、現在も三井住友信託銀行の貸金庫として使用されています。

三井本館は戦争を生き抜いたこともあり、多くの悲劇にも見舞われました。「血盟団事件」もその1つです。血盟団とは国家主義者を中心にした右翼団体で、金融恐慌などから社会不安がまん延した1932年に政財界の重要人物を立て続けに暗殺しました。

凶弾は三井財閥にも向けられました。当時は反米意識が強く、三井本館がアメリカの設計と施工で建てられたこと、三井銀行がイギリスの金輸出停止に伴って巨額の米ドル買いを実施したことなどから、三井財閥は非難を集めるようになっていました。そして1932年3月、三井合名の理事長だった團琢磨(だん・たくま)は、三井本館の玄関前で血盟団員の青年によって射殺されてしまいます。

さらに、戦時中は国家総動員法によって三井本館からさまざまな金属類が回収されたほか、戦後は進駐軍によって一部が接収され扉の一部が切り取られるなど、多くの困難にさらされました。

戦後は再び三井グループのオフィスビルとして活用され、現在も三井住友銀行や三井住友信託銀行が入居しています。1998年には、優秀な意匠と歴史的価値が認められ、国の重要文化財に指定されました。