・戦後最悪の巨額負債で銀行がたった6年で破綻…日本初の異例事態に

かつて「スーパー」が流通の主役を担っていた時代がありました。日本では戦前から百貨店が小売業の花形でしたが、戦後の高度成長期で「ダイエー」や「イトーヨーカドー」といった総合スーパーが業界をけん引するようになります。

「マイカル」もそのうちの1社でしたが、スーパーとしては戦後最悪の負債を残し2001年9月14日に経営破綻しました。マイカルが発行していた個人向け債券は、額面のおよそ70%をカットされる事態に陥ります。

なぜマイカルは破綻することになったのでしょうか。経緯を押さえましょう。

業界4位の大手が1.6兆円の負債を抱え破綻

マイカルはかつて業界4位の規模を持つ総合スーパーでした。2001年2月期には1兆7226億6000万円の連結売上高を計上しています。もともと「サティ」や「ビブレ」、「ポロロッカ」といったスーパーを運営していましたが、その後に総合小売店「マイカルタウン」を展開したことで注目を集めました。

マイカルタウンは単なるスーパーではなく、映画館やスポーツクラブを併設した大型のショッピングモールでした。1989年に出店した「マイカル本牧」を皮切りに、全国に積極展開します。総店舗数は2001年2月末で128店舗、売場面積は150万平方メートルに達していました。

今でこそ大型のショッピングモールは珍しくありません。しかし、マイカルタウンを手掛けた1989年以降はバブル崩壊の時期にあたり、個人消費は冷え込んでいました。また1995年に発生した阪神・淡路大震災も痛手となります。マイカルタウンは大規模な投資に見合うだけの売り上げが立たず、マイカルは苦境に立たされます。

マイカルは1999年10月ごろから経営改善に着手しますが、思うように資産の売却が進まなかったこともあり、資金調達も限界を迎えたことから、2001年9月14日に経営破綻しました。破綻時の負債総額1兆6000億円は、戦後の倒産企業で5位、金融業を除けばワースト記録でした。マイカルは2003年11月にイオングループの一員となり、2011年2月にはイオンリテールに吸収され消滅します。

【戦後の倒産企業、負債額上位5社】

出所:東京商工リサーチ こうして倒産した・・・戦後歴代の大型倒産