山一證券破綻後、選んだ道は製薬会社
山一證券が破綻した後、私は金融業界に移籍することなく、当時の山之内製薬(現在のアステラス製薬)に入社しました。なぜ山之内製薬に入社したのかというと、これも山一證券時代のつながりによるものです。
当時の山之内製薬は、株価が非常に割安な状態に放置されていました。とはいえ、会社の中身は非常に良かったので、投資家向け広報(IR)を積極的に行えば、株価は上がると考えていました。
しかし、山一證券は主幹事証券会社ではなかったため、こちらから積極的に働きかけることができませんでした。なぜなら、当時は主幹事証券会社が、企業のIRを担当するという慣例があったからです。
とはいえ、山一證券の事業法人部としては、何とかして山之内製薬と関係性を構築したいという気持ちがあり、さまざまな働きかけをしました。その時、山之内製薬の財務責任者に米国にまで来てもらい、投資家の前でプレゼンテーションをしてもらうなどの接点づくりをした関係もあり、山一證券が潰れた時、唯一、金融機関以外の会社で私にお声がけ下さったのが、山之内製薬だったのです。
山之内製薬には2年間、お世話になりました。が、やはりマーケットが好きだったこともあり、再び金融の世界に戻ろうと考えるようになりました。その頃は会計士の資格を持っていて、かつマーケットでの経験があり、自分でファンドを組成して運用することもできたので、アナリストとしてではなく、プライベートバンクに入ろうと考えて、ピクテの門を叩いたのです。
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取材・文/鈴木 雅光(金融ジャーナリスト)