NY赴任中に、勤めていた山一證券が自主廃業

そうこうしているうちに、今度はニューヨークへの転勤を命じられました。そして、赴任してヘッジファンドの運用を任されていた時、勤務先である山一證券が自主廃業したのです。1997年11月24日のことでした。

実は、それ以前からうすうすですが、「もうこの会社はもたないかもしれない」という予感がありました。ニューヨークは妻と一緒に赴任していたのですが、自主廃業をする半年くらい前から、「そろそろ会社が危ないので、準備しておいてね」などと言っていました。

その頃、私は日本株のロング・ショートと呼ばれる投資戦略を用いたヘッジファンドを運用しながら米国の運用会社と株式の取引をしていましたが、山一證券と取引を禁止する会社がどんどん増えていきました。 トレードする証券会社が破綻すると、そこへの注文を出した金融機関にも悪影響が及ぶため、山一證券との取引にしり込みするようになったのです。 また同時に会社自身の資金繰りが大変になっていたのでしょう。私のヘッジファンド運用のポジション自身も減らされていきました。

そして、最後の2週間くらいは顧客との取引も運用ポジションもほとんどなくなり、会社に行っても何もすることがない、という状態にまでなりました。さらに、旅行会社が山一證券向けに発行していたチケット類も、発行してくれなくなりました。こうしてどの会社も、山一證券に対していっさい売掛を持たなくなっていったのです。

1997年11月24日、日本時間の午前4時、100年の歴史を持つ山一證券が自主廃業の道を選びました。ニューヨーク時間だと、11月23日の午後3時です。私のデスクに置かれていたQUICK端末に、「山一證券、自主廃業」というフラッシュが流れたのです。

早速、それをプリントアウトして、ワールドトレードセンターの98階にあった社長室に持っていくと、すでにニューヨーク法人の社長以下、幹部が集まっていました。自主廃業という経営判断を下す直前、山一證券にとっては最後の資金調達先だった外資系銀行が手を引いたため、その対応策を練っているところでした。