<前回まで>
投信業界のキーパーソンにロングインタビューする投信人物伝。世界の富裕層の資産を守り続けてきたプライベートバンクの日本法人「ピクテ・ジャパン」の代表取締役社長である萩野琢英氏に、これまでのキャリアを振り返って頂きました。萩野氏は海外での経験を積むため国際部の配属を目指して大手の山一證券に入社します。赴任先のロンドンでは、日本株を熟知しアナリスト経験のある萩野氏に関心を寄せる英国人投資家との人脈を広げ、彼らから様々な投資手法を学ぶことになります。一方で、世界を席巻する日本株の勢いは東西冷戦の終焉とともにバブルは崩壊。さらにニューヨークへの転勤とともに、不振に陥った山一證券の経営破綻の足音が近づいてくるのです……。
ロンドン時代、ゴルフで広められた貴重な投資家人脈
ロンドン時代、英国の投資家と親しく交流させてもらうなかで、どういう企業に投資するのが面白いのか、マーケットを見る時にはどういう観点が必要なのかなど、その後の私の仕事につながる、さまざまなことを教わりました。
日本から来た何の面識もない若者に、そこまで英国の投資家が親切にしてくれたのはなぜなのか。ひとつは前回も触れましたが、私が日本株の情報を持っていて、企業分析ができたことです。
そしてもうひとつ、英国の投資家と親しくさせてもらえた理由がありました。それはゴルフです。学生時代、ゴルフ部に所属していたくらいのゴルフ好きで、これが英語の出来ない私でも、英国の投資家と親しく付き合うことができた、恐らくは一番の要因だと思います。投資会社の運用責任者などもゴルフ好きが多く、全英オープンの開催地で知られている名門コース、ミュアフィールドの会員もいたので、毎週末ゴルフに興じていました。
金曜日、スコットランドのお客さまの会社に行き、受付に自分のゴルフバックを置かせてもらって仕事をし、夕方5時に一段落したら、顧客と一緒にコースに行くのです。夏だと夜の10時くらいまで日が沈まないため、夕方5時からでも十分、18ホールを回ることができます。
しかもプレーフィーが安くて、エジンバラにあるコースで1ラウンド10ポンドですから、当時の日本円で計算しても1600円くらいでした。かの有名なセントアンドリュースのオールドコースでも50ポンドだったので、当時は8000円程度で回れたのです。ちなみに今はいくらかというと、セントアンドリュースで270ポンドです。ゴルフ好きにとって、当時のイギリスは天国のような環境だったのです。