偶然のビール醸造も今や増大一途の醸造所

紀元前4000年以上も前の、メソポタミアで人類が農耕生活を始めた時期に、たまたま放置していた麦の粥(かゆ)に酵母が付着し発酵したのが、ビールの起源とされる。

中世期にはヨーロッパで、ビールが“液体のパン”と考えられるようになり、キリスト教の修道士がビールの醸造に精を出すようになった。優れた品質であったために醸造される量も増え、一般の人に広まった。中世期の末期には、一般の人たちもビールの醸造を始める。

日本では、18世紀後半に江戸でも盛んになった蘭学の中でビールが紹介された。「ビール」という日本語はオランダ語に由来する。

日本でのビール醸造は、幕末の蘭学者である川本幸民が、オランダの書物を参考に1853(嘉永6)年に日本人として初めて成功させたのが発端だ。1869(明治2)年になると、「日本ビール産業の始祖」とされる、ノルウェー系アメリカ人の醸造技師ウィリアム・コープランドが、横浜の外国人居留区に日本初のビール醸造所となる「スプリング・バレー・ブルワリー」を設立した。主に居留する外国人を対象に販売したが、やがて日本人たちにも飲まれるようになる。同醸造所はのちに麒麟ビールとなる。

最近は、クラフトビール(地ビール)も花盛りだ。2021(令和3)年9月現在で、東京都だけでも73カ所の醸造所があり、10年前の9.1倍という増加ぶりだ。地元産の原料を活用しての地ビール開発で、地域のスポーツチームと連携したり地元のイベントに活用するなど、地域おこしの一環として広がりを見せている。

執筆/大川洋三慶應義塾大学卒業後、明治生命(現・明治安田生命)に入社。 企業保険制度設計部長等を歴任ののち、2004年から13年間にわたり東北福祉大学の特任教授(証券論等)。確定拠出年金教育協会・研究員。経済ジャーナリスト。
著書・訳書に『アメリカを視点にした世界の年金・投資の動向』など。ブログで「アメリカ年金(401k・投資)ウォーク」を連載中。