区々たるお酒との付き合い方

かつて、沖縄返還を成し遂げるなど多くの実績を残しつつ長期の政権を実現した、ノーベル平和賞の受賞者でもある故佐藤栄作首相についての話だ。死後に行われた夫人との誌上会談で、首相があまり酒を飲まなかったことが長期にわたる政権を可能にしたのではと夫人が推測していた。名を成した政治家や実業家の中にも、お酒の飲めない人は多かった。河野太郎氏の祖父に当たり、副総理を歴任するなど政界で権勢を誇った故河野一郎氏も酒の匂いを嗅ぐだけで顔が赤くなるほどの下戸だったらしい。

一方、酒豪であったが酒量が次第に減少した人もいる。福沢諭吉だ。『福翁自伝』の中の“品行家風”の章で、酒の遍歴を記している。生来酒を飲める口ではあったが、特に江戸に来た25歳当時からは一貫して酒漬けの日々であったようだ。勉強の傍ら飲むことを第一の楽しみとして、友人の家に行けば飲み、知人が来宅すればすぐに酒を用意し、客が飲むよりも自分の方が酒量が進んだと書いている。

朝も昼も夜も、際限なく飲んだようだ。ただ、32、33歳の頃、こんな飲み方をしていると寿命が縮むと不安感が頭をよぎった。まずは朝酒をやめ、しばらくして昼酒を禁じたものの、客が来ると客を口実に飲むことはやめられない。次の段階でやっと、客には酒を勧めるが自分は飲まないという習慣を身につけた。しかし、晩酌だけは全廃というわけにはいかず、口では飲みたい、心では許さずと、口と心が相反する苦悩の時期を3年ほどかけて克服し、やっと飲酒の減量が実現できたそうだ。いわゆる、鯨のようにがぶがぶ飲む鯨飲の時期は、10年ほどの期間だったと述懐している。