1930年代に確立された二大投資手法とは?

今では当たり前のように使われている成長株という言葉だが、明確に定義をしたのはT.R.プライス Jr.とされている。会社設立時には投資アドバイス業務を中心に行っていたが、その運用戦略の中心は成長株への投資だった。むしろ成長株への投資をするために、会社を設立したと言うほうが正確かもしれない。

というのも、会社設立前に在籍していた証券会社で、すでに成長株での運用を開始していたからだ。T.R.プライス Jr.はその証券会社において、自らが責任者となって資産運用部門を立ち上げており、長年温めていた成長株投資を実践していたのである。しかし、1930年代の世界恐慌の影響もあり、株式市場の低迷が続いていた。そのため、彼が先導した資産運用部門は方針転換を余儀なくされてしまった。そこで、その証券会社を辞め、自身の会社を設立したという経緯がある。

当時、顧客向けのレポートなどで成長株投資について言及していたが、広く金融業界に向けて発信をしたのは業界紙の記事だった。1921年に創刊され、今なお発刊されている金融情報専門紙『バロンズ』に、成長株についての記事を連載したのである。この記事により、成長株投資の元祖というポジションが確立したと言える。

一方、バリュー株投資といえば、米国の著名投資家であるウォーレン・バフェットの名が思い浮かぶ人は多いだろう。そして、ウォーレン・バフェットの大学時代の恩師であるベンジャミン・グレアムは「バリュー株投資の父」と呼ばれることも多い。ベンジャミン・グレアムが、投資理論書である『証券分析』を出版したのは1934年だった。世界恐慌で株価が低迷していた1930年代に、現在の2大投資手法ともいえるグロース株投資とバリュー株投資が考案されていたことになる。