貯金を使い果たしても止まらない

ゴールデンウイークが明けたころには、麻紀も社会人としての生活にすっかりなじんでいた。連日の買い物のために、学生時代からこつこつと貯めてきていたお金はほとんど使い果たしていたが、残高が減るたびにより洗練されていく自分の部屋を見ていると、そんなことはささいなことのようにも思えた。

「坂本さん、この表、昨日の数字だけ差し替えておいて」

「はい、確認してすぐ回します」

はきはきと返事をして自席に戻り、画面を開く。

任される仕事はまだ補助的なものばかりだが、右も左も分からず、置物のように座って指示を待っていた入社直後とは違う。何を先に片づけるべきか、自分で考えて動ける場面が少しずつ増えてきている。

仕事を終えた麻紀は同期に手を振って別れ、足早に電車に乗って家とは反対側へと向かう。SNSで見つけた雑貨屋に寄り、細々としたものを数点購入して満足すると、冷蔵庫の中身を思い出しながら、夕食のメニューを考えて歩く。買い物の高揚感もあいまって、一昨日届いたばかりのオートクッカーを使うのが楽しみで仕方がない。

(角煮、肉じゃが、ビーフシチュー……最初は簡単なのがいいな。あ、無水カレーがある)

人波を抜け、スマホ片手に交差点で立ち止まる。やがて信号が青に変わり、前の人に続いて横断歩道に足を踏み出した、その瞬間だった。鋭いブレーキ音が、耳をつんざいた。

「うっ……」

何が起きたのか考えるより先に、視界が激しく揺れる。体の向きが分からない。

玉ねぎ、トマトの水煮缶、鶏もも肉……。ついさっきまで頭の中に並んでいた買い物リストが、一瞬で弾け飛んだ。

「大丈夫ですか⁉ お姉さん、私の声、聞こえますか⁉ 誰か救急車!」

「今、呼んでます! あっ、無理に動かさないで!」

遠くで誰かが叫ぶ声が聞こえる。返事をしなければと思うのに、激しい衝撃と痛みで、うまく身体が動かない。やがてどこからかサイレンの音が近づいてくる。

(今日が金曜日でよかった……)

病院に運ばれる寸前、麻紀の頭に浮かんだのは、そんな奇妙な安堵感だった。

●念願の1人暮らしを始め、理想の部屋づくりに夢中になるあまり、貯金を使い果たしてしまった新社会人の麻紀。仕事にも慣れてきた矢先、帰宅途中の交差点で思わぬ事故に遭い、病院に運ばれてしまう…… 後編【「備えまで含めて、暮らし」散財で貯金が尽きた新社会人…事故入院で悟った遅すぎた家計管理】にて、詳細をお伝えします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。