匿名の書面が動かしたもの

翌日、結弦はコンプライアンス室に匿名で書面を送った。

基本的な内容は香織が話した内容に準じたものだ。任意参加である飲み会に出た人間だけが有利になる構造は公平性に欠けるうえ、本来は正式な場で行うべき人選が酒席のやりとりで左右されるのはおかしいという内容を訴えた。

すると、会社はこの件を重く受け止めたようで、相談をしてから1週間経ったころ、結弦は青木から会議室に呼び出された。

「ノヴェラパークモールの件は本当に申し訳なかった」

開口一番、頭を深々と下げた青木に、結弦は顔を上げてくださいと言ったが、青木は腰を折ったままだった。

「飲み会の勢いで担当者を決めるなんてあってはならないと注意されたよ。相談内容を聞かされて坂下が送ったものだとすぐに分かった。軽率だった。本当に申し訳ない」

謝罪する青木に結弦は声をかけた。

「……自分も単なる口約束でしかないことを真に受けて浮かれてしまっていましたから。でも、その件での怒りはもうないんです。ただ飲み会に参加した人間が有利になるようなことだけは今後はやめてもらいたいなと思ったんです。俺は仕事以外の時間はできるだけ多く、家族のために使いたいと思ってるので」

結弦が自分の気持ちを伝えると青木はしっかりとうなずいた。

「もちろんだ。今後はこんなことはないようにするよ」

「……分かりました。よろしくお願いします」

結弦も頭を下げると青木は再び肩に手を乗せてきた。

「ありがとう。もし俺が出世したら、必ず坂下を上に引き上げるよ」

結弦は青木の言葉に苦笑いで答えた。

「はは、期待しないでおきますよ」

あっさりと流されたことに青木は面食らって固まっていた。

話を終えてデスクに戻り、結弦は今取りかかっている企画書の続きを始めた。これ以上口約束で振り回されるのはこりごりだ。それよりも目の前の仕事をコツコツこなしていけば、きっとまたチャンスはやってくるだろうと思った。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。