陽一が下した苦渋の決断
陽一の秘策とは、すべてを捨てて会社を選ぶことだった。すなわち、すべての相続財産の取得を放棄し、株式をすべて相続する。そのうえで、健太が希望していた株式の取得分相当額の金銭を支払うことにした。
だが、そのためには株価の適正な評価など相応の準備が必要だ。税理士の選定や銀行からの資金調達も必要になってくる。すなわち、時間もお金もかかるのだ。それでも、会社の崩壊を思えば安いもの。そう思い、陽一は関係各所に連絡して協力を仰いでいった。
「あの時の俺は恥もプライドも捨てたな」
そう語る陽一。彼は当時関係各所に頼み込み、時には頭を下げ、会社と従業員のために奔走していた。その甲斐もあってか数カ月で準備が整った。
適正な価格での株式の評価。健太が納得するであろう額の金銭。私を含めた各種専門家の同席。そんな状況で、陽一の健太への交渉が始まった。
「俺に全部任せてくれないか。株式も経営も。代わりに他の遺産はすべて放棄する」と陽一が語り掛ける。
健太が「それじゃあ納得ができない」と返す。彼の心の内は私にも陽一にも分からない。だが、何かしらあって不満なのだろう。
だが、陽一も一筋縄ではない。早速、健太を切り崩しにかかる。
具体的に言うと、会社の株式の評価額とその根拠をまとめ、そのうえで、株式の評価額の2倍の額を払うと約束したのだ。もちろん遺産もすべて放棄すると添える。最後の一押しとして「これでもまだ譲歩してくれないだろうか」と、陽一が縋るように頼み込む。
悩む健太。沈黙の時間がどれほどだったか私は分からない。同席していたからこそわかる緊張感。数分だったようにも感じられるし、1時間を超える長丁場だったようにも感じられる。
はっきりと覚えているのは健太の「わかった、株はお前に譲るわ」という返答だ。その声音は、半ば諦めのようでもあり、陽一の行動に引いてどうでもよくなったようでもある、何とも言えないものだった。
