里佳子は食器を洗いながら、背後のリビングから聞こえてくる子どもたちの声に耳を傾けた。

娘の紗月は7歳の小学1年生、息子の悠真はまだ4歳で幼稚園に通っている。朝食を済ませた2人は、登校と登園の時間までのひとときを、ローテーブルの前で過ごしていた。弟の靴下を履かせようとしているらしい娘の声が、かすかに聞こえてくる。

「もう、動かないでってば」

笑い混じりの声に、里佳子の口元が自然と緩む。

「ほらー、ちゃんと履けたらお姉ちゃんがシール1つあげるよ」

「ほんとー? じゃあ、がんばる!」

かわいいやりとりに癒されつつも、胸の奥には微かな焦りが燻っている。

今日は特売日。冷蔵庫の中身と相談しながら、いかにやりくりするか、すでに頭の中では計算が始まっていた。

「ママー! 紗月学校行ってくるねー!」

「えっ、もうそんな時間!? 行ってらっしゃい。気をつけてね」

「ねえね、バイバーイ」

倹約とは対照的な夫のゴルフ出費

出産を機に会社を辞めてから、もう7年になる。互いにアラフォーになった今では夫の悟がすべての家計を管理し、里佳子には生活費として月ごとに一定額が手渡される。必要最低限の金額だ。

食費、日用品、幼稚園の雑費――やりくりはできるが、自分のために使える余裕はほとんどない。

ショッピングも美容院も、もう何カ月も行っていない。母親として、妻として、家庭を支えることに疑問はなかった。でも、ふとした瞬間に、見えない壁に囲まれているような息苦しさを感じる。

「ほらほら、悠ちゃんも準備しないと。幼稚園バス乗り遅れるよ」

「はあーい」

マイペースな悠真を急かしながら玄関に向かうと、狭い空間を占拠するように置かれたゴルフバッグが目に入り、里佳子は思わず顔をしかめた。

悟が突然「上司に誘われてゴルフを始めることにした」と言い出したのはいつだっただろうか。

最初は、ほんの軽い付き合いかと思っていた。だが、あれよあれよという間に高そうなクラブ一式が玄関に並び、週末は打ちっぱなしやコース通いが当たり前になっていった。休日のたびに、「朝から行ってくる」「遅くなるかも」と言い残して出て行く夫。その背中に、家庭への配慮は感じられなかった。

「ママ―! バイバーイ!」

「はーい、行ってらっしゃい」

保育士に挨拶をして息子を託すと、里佳子は深くため息をついた。

悟が倹約家なのは昔からだった。電気の消し忘れにうるさく、水道代まで細かくチェックする。外食は贅沢だと決めつけ、里佳子や子どもたちの買い物には目ざとく反応する。

その一方で、ゴルフ代や交通費は平然と出している。「仕事の一環だよ」と言い訳する悟に、里佳子は毎回不満を飲み込むしかなかった。

「はあ……疲れた……」

夜、湯のみを手にリビングに1人きりで座る。壁の向こうでは、子どもたちが健やかな寝息を立てて眠っているだろう。明日も、今日と同じように朝が来て、食器を洗い、買い物に行き、ごはんを作る。そんな生活を思い浮かべながら、里佳子は胸の奥にひたひたと冷たいものが満ちてくるのを感じていた。

静かに降り積もっていく違和感。その輪郭が、だんだんとはっきりしてきていた。