「成功したいなら移動せよ」は何が問題なのか?
結局、「成功したいなら移動せよ」という主張の何が問題なのか? 答えは、実力や能力以外の構造的な不平等や環境要因によっても、人々の移動資本やネットワーク資本は成り立っているからである。
心身に障害があったり、目が離せない子どもがいたり介護が必要な家族がいたりすれば好きなときに出かけることはできない。稼ぎが少なく移動に充てられる金銭的な余裕がなければ海外旅行はおろか国内旅行も難しい。移動をめぐる機会と可能性は、ジェンダーや階級社会階層、国籍、エスニシティ、生まれ育った地域といったものに強く規定され、影響を受ける。移動による成功も失敗も、決して“自己責任”ではないのだ。
もっと言えば、移動力を発揮して成功するという思想は、好きなときに好きな場所に移動できる、極めて限られた特権的な人間を中心とした思想なのである。
ある大学で担当している講義の中で、ここまでの話をしてみた。すると、「移動で多くのことを見て経験して視野が広くなっているはずなのに、なぜ、『移動しないの? 早くすればいいじゃん』というような態度をとる、視野が狭い人間になってしまうのですか?」と質問された。理由は、能力主義と生存者バイアスにより、失敗した経験を脇において、自身の成功した経験のみを基準に判断してしまっているからだと考えられる。
移動をめぐる自己責任や能力主義、生存者バイアスから抜け出すには、移動が困難であったり、自分とは移動をめぐる状況が異なったりする人がこの世界にいることへの想像力を働かせることが大切だ。そして、移動をめぐる格差や不平等の実態を知ることが、過剰な移動崇拝と移動がもたらす成功神話を解体していくことにつながるはずである。
移動と階級
著者名 伊藤 将人
発行元 講談社
価格 1100円(税込)