一体何を……?

「待ってるのよ」

「ん? 待ってる?」

「そう、待ってるのよ」

「何を?」

「待ってるのよ」

望美は訊き返したが、母は同じ言葉をくり返すだけだった。

母が空を見上げる。望美はその視線をたどったが、あいにくの曇り空はすっかり暗くなっていて、星のひとつすら瞬くことはない。

「風邪引いたって知らないからね?」

母は素知らぬ顔で黄昏時の曇り空を眺めている。もう構っていられない。夕食を作り、片付けをしたら、家に戻って夫や息子の夕食を作らなければいけないのだから、こんなところで母のわがままに律儀に付き合ってやる暇はなかった。

望美は母に背を向けて歩き出す。勝手口の扉に荒っぽく手をかけた瞬間、すぐ隣にあった背の高い古木の棚に肩が当たる。ぐらついた棚を慌てて抑えたが間に合わず、中に入っていたものが滑り落ちて降ってくる。プラスチックの器が額にあたり、砂と埃を頭にかぶる。望美は思わず声を荒げた。

「何なのもう! こんなガラクタ、いつまでも取っておいて、片付けなさいよ!」

望美は落ちてきたものを根こそぎ拾って、勝手口から家のなかへ戻り、台所のゴミ箱にまとめて捨てた。ふと顔を上げると、母が寂しげな表情で望美のほうをじっと見つめていた。

●弱っていく母の世話を続ける日々に次第に限界を感じるようになる望美。ある日、いつものように実家に向かうと、また母がいなくなっていた。徘徊しているのでは、と気に病むことは、もうなくなったが、それでも心配だ。母の行方を捜すと、庭のベンチに姿があった。そして望美は、ついに母が“待っていた”ものと出会うのだった。後編:【「今日は元気がいいねぇ」庭で何かを待ち続ける“認知症気味”の母のもとにやってきた小さな来訪者】にて詳細をお届けする。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。