タクシー感覚で救急車を呼ばないで
病院についてからも胸の痛みを訴える演技をし、念のためと検査をされた。しかし異常は見当たらず、自宅で安静にと告げてきた医者に、冨美子はでも胸が痛いんですと無理を言って休ませてもらうことになる。
「具合はどうですか?」
「ええ、とても元気になりました。ありがとう」
しばらくたって医師が尋ねてくるが、冨美子はもとから元気だった。
「そうですか。それじゃ一応点滴だけ、打っておきますね」
「あの、娘に連絡は?」
「しましたよ。ですが、特に異常もなく、お元気ですので、今日のところはひとまずお家に帰っていただいて、もしまた何かあれば病院にいらっしゃってください」
「え、娘は何も言ってなかったんですか?」
「いえ、お出になりませんでした。一応留守電は残してありますので、もしかしたらお母さんにご連絡があるかもしれません」
「いや、もっとちゃんと連絡してくださいよ!」
「ですから……」
医者は溜め息を吐き、同じ説明を繰り返すだけだった。結局、冨美子は入院もなく追い出されるように病院を出るしかなかった。
病院の前から出るバスに乗って帰った冨美子は、家に着くなり幸代に電話をかけた。長い長い呼び出し音のあと、冨美子の耳に聞こえてきたのはいつかよく聞いていた幸代の冷たい声だった。
「どうしたの?」
「どうしたのって、こっちのせりふよ。病院から電話あったでしょ? どうして来てくれなかったの?」
「はぁ? だって医者が問題ないって言ってたから。それにそんな簡単に仕事を休めるわけないでしょ」
「私、救急車で搬送されたんだよ?」
「大したことないんでしょ? そんなことでイチイチ救急車呼んだら迷惑だって」
「別にあんなのはタダなんだから、好きに呼んでいいでしょ?」
冨美子は思わず言い返したが、幸代から戻ってきた吐き捨てるような渇いた笑みは、冨美子の心を深くえぐっていった。
「いやいや、タクシー感覚で救急車を呼ばないで。救急隊員の人たちは仕事でやってるの。本当は1回の出動で4万5000円くらいかかるんだって。ちょっと前に話題になってたじゃん。だから、ほんとに困ったとき以外は呼ばないこと。いいわね」
幸代との通話は、冨美子の返事を待たずに切れてしまった。