父の謝罪
真幸と2人きりは剣道の大会で負けたとき以来だ。あの頃のようなどうしようもなく追い詰められている感覚はないが、それでも気まずかった。
何か言ったほうがいいのかもしれないが、真司は言葉が出てこない。
思えば、真幸と雑談なんてしたことがなかった。どんな話題が地雷なのか分からないので、何も話すことができなかったのだ。
そうして気まずい沈黙をやり過ごしていると、真幸の口が動いていることに気付く。何かあったのかと思い、真司は耳を近づけた。
「……ごめんな」
真幸が発していたのは謝罪の言葉だった。
真司は驚き、真幸の顔を見た。目を閉じている真幸は涙を流していた。
「俺は、お前に厳しく接することしかできなかった。それが正しいと思っていたんだ。お前は剣道の稽古をとても頑張っていると妻からも、先生からも聞いていた。だからこそ勝ってほしくて、お前に厳しい言葉をぶつけてしまった」
そこで真幸はむせて言葉を切る。真司はゆっくりとお茶を飲ませた。
「……でもお前は俺のせいで、力を発揮できてなかったと後から分かった。勉強も俺がいたせいで、うまくできなかったんだろ。全て俺が悪い。もっと、きちんと、話せば良かった。お前はできる子だったのに……」
真幸はそこでまた顔を震わせて泣いていた。真司はその目を布巾で拭った。
いつの話をしているんだよ……。
涙を拭いながら、真司は胸が締め付けられる思いだった。この思いを真幸は何十年も胸に秘めていたのだ。そうして、自分が死の淵に立ったとき、ようやく口にすることができたのだ。
バカヤロウ、たった一言の謝罪を言うのに、何年かかってんだよ。
真司は父の耳に口を近づけた。
「分かったから。無理して話さなくていいから」
真司がそう言うと、真幸はゆっくりと口を閉じる。
今まで真幸に思っていた悪い感情が全て消え去っていくような気がした。あれだけ嫌っていた真幸をたった一言の謝罪で許している自分に驚きつつも、不思議と嫌な気持ちではなかった。
見舞いが終わった後、実家で母から詳しい話を聞いた。
「もうね、ずっと体が悪かったのよ。でもね、真司に心配かけたくないからってあの人、黙ってろって言ってたから」
「バカかよ、何を意地張ってんだよ」
思わず悪態をついた真司にほなみが突っ込む。
「意地を張って会いに行かなかったのはあなたも一緒でしょ。似たもの同士よ」
ほなみの言葉に母は笑った。
「遠くにいてもね、あの人はずっと真司のことを気にかけてたよ。もうあいつは独り立ちしたんだって言ってたけど、内心は会いたかったはずだからね」
真幸の悔恨を聞いた後だと、その言葉はチクリと痛かった。
「父さんはきっと俺と会わないほうがいいって思ってたんだな。自分がいたら、俺に悪影響だからって」
「そうだよ。何度もそんなことないって私は言ったんだけど。変なところで頑固だからね」
どこかで真幸には見限られていると思っていた。
しかしそうではなかった。
思いやってくれていたんだ。