<前編のあらすじ>

千尋(40歳)と卓志(48歳)は漫画家夫婦。千尋は「天龍院アゲハ」、卓志は「志藤現在」というペンネームをもつ中堅漫画家として細々と堅実にやってきたが、千尋の漫画がTik Tokでバズったことがきっかけで、人気女優を主演にしたドラマ化と脚本参加が決まり、一気に売れっ子の仲間入りを果たした。

突然忙しくなり注目を浴びたことで戸惑う千尋。一方の卓志は打ち切り同然で連載が終了し、夫婦関係は気まずくなっていた。

いつも通りに振舞おうとする千尋だが、漫画を書かなくなった卓志は家事をこなしながら卑屈で攻撃的な言動を千尋にぶつける。苛立ちが募っていた千尋も応戦し、別居するまでの大げんかに発展してしまった……。

●前編:「カネも大して出ねえんだもんな」妻の名声に嫉妬する心の狭い無職夫…妻を家出に追い込んだ「卑屈な言動」

夫に憧れて漫画家を志していた

千尋は仕事場に用意した簡易ベッドに寝転がりながら、スマホを眺める。放送中のドラマの感想をSNSでエゴサをしたり、同業者の投稿にいいねをしたりする。ふと気になって卓志がやっている志藤現在のアカウントにも飛んでみたが、連載完結のお礼の投稿以来、SNSはまったく動いていなかった。

『あんたの作品にそんなファンなんて今までいないでしょ?』

あのときの口にした自分の言葉がはっきりとよみがえる。

「どの口が言ってんのよ……」

千尋は元々、志藤現在のファンだった。志藤現在に憧れて漫画家を志し、弟子入りもした。長らくアシスタントをしながら、漫画を教わった。尊敬はいつしか愛情へと変わり、結婚をした。二人三脚で売れないながらも漫画を続けてきた。アシスタントなんて雇う余裕がなかった千尋の背景を、卓志が手伝ってくれたこともある。お互いの漫画を読み合い、感想を交換し、切磋琢磨(せっさたくま)してやってきた。

思えば随分と遠いところへやってきた。けれどアシスタントから同業者になり、恋人から妻になっても、千尋が志藤現在のファンであることは変わらなかった。

それなのに、千尋は卓志に向かって最低な言葉を投げつけた。あのときの卓志の表情は、今もまぶたの裏に焼き付いている。

自分の一言が憧れの漫画家の筆を折ってしまったのかもしれない。そう思いながらも、千尋には卓志になんと言葉をかけていいのか分からなかった。