財産目録があれば、逝去後の手続きが一気にスムーズに

人生の最期を迎えるまで健やかであれば良いのですが、なかなかそうもいかないようです。筆者は実の父を見送りましたが、がんの再発を繰り返し、苦しい治療に耐え、長時間にわたる手術に耐え、つらい思いをしている様子が今でも目に浮かびます。それでもまだ小さかった孫が遊びにくれば膝に乗せ、子どもの話に耳を傾けニコニコと幸せそうに笑っていた様子も忘れられません。人生には、苦しみもあるけれど、喜びもあるのだ、だからこそ最期まであきらめずに努力をするのだということを父は身をもって教えてくれたように思いました。

亡くなる直前にはホスピスに移りましたが、その移動の際、少しだけ自宅に戻れました。筆者は車で送迎をしつつ付き添っていましたが、その時に父が準備した財産目録や友人の連絡先一覧などを渡されました。母を遺していく父の思いやりを託されたわけです。

その後は父の言いつけで、母と一緒に葬儀屋さんへ見学に行き、「祭壇はこんな感じがいいかなって思うんだけど」といった会話もしました。その後はあまり時間がありませんでしたが、長い闘病生活だったことで、父との時間を改めてとることもでき、気持ちの上では思い残すことなく見送れたのではないかと思っています。

父はがんでしたが、医療費はそれほどかからず、緩和病棟での個室代も知れていました。それまで手術を何度もしましたが、後期高齢者なのでありがいことに医療費で父の家計が逼迫(ひっぱく)することもありませんでした。

父が亡くなった後は、渡された財産目録等が本当に役に立ちました。悲しみの中、葬儀を執り行い、相続の手続きを行うのは想像以上に骨が折れるものです。父の相続人は母と弟しかおりませんので、シンプルな家系といえますがそれでもさまざまな書類を準備したりするのは大変でした。しかし父が分かりやすいようにノートにまとめておいてくれたので、よく聞く「通帳や印鑑を家捜しした」ということは全くありませんでした。

父が亡くなって半年ほど経ち、父の子どもの頃からの友人たちを招いてのお別れ会を田舎で行いました。もちろん連絡先は父の遺したノートにすべてきちんと書いてありました。まめな父は年賀状や季節のあいさつなどずっと継続していたのです。

集まった友人たちもみんなおじいちゃんでしたが、“悪ガキ”だったころの思い出を生き生きと話してくれ、会は大変盛り上がりました。母からすると、若かった時代を共有した友人たちとの会話は懐かしい記憶だったでしょうし、筆者は初めて知る父のエピソードに時に驚き、笑い、そして涙ぐむような素敵な時間でした。

最近はエンディングノートといって、自分の人生を振り返り遺していく家族に想いを伝え、財産についても整理することの大切さが少しずつ普及してきました。父の行動は先駆けであったと思いますが、いずれくる死に向かってどういう行動をとるべきかという点で、父から学んだことは大きかったと思います。