複数の組織から成り立っているFRB

FRBは、英語では“Federal Reserve”、もしくは“Fed”といいます。日本語でFRBというときは、概ね「連邦準備制度理事会」のことを指すようです。

FRBは“Federal Reserve Board”の頭文字から来ていますが、広い意味では「連邦準備制度」、すなわちFRS(Federal Reserve System)のことを意味します。本記事でFRBという場合は、とくに断りのない限り「連邦準備制度理事会」を指すこととします。

一般に中央銀行というと日本銀行のように国家等の中核となる1つの銀行を指します。そして、1つの組織である「FRB」は以下3つの部分から成り立っています(前ページ図参照)。

1.連邦準備制度理事会(FRB, Federal Reserve Board)
2.連邦準備銀行(FRB, Federal Reserve Banks)
3.連邦公開市場委員会(FOMC, Federal Open Market Committee)

このうち、1913年の連邦準備法の制定当初から定められていたのは、「連邦準備制度理事会(FRB)」と「連邦準備銀行(地区連銀)」の2つです。

FRBの12の連邦準備銀行

連邦準備銀行は全米を12に分けた各地区にあり、それぞれの地域の経済を把握するための情報収集、そして地区の銀行業界の監督を行います。12の地区の境界は、1913年当時の主要な商業地域を中心に、経済的なつながりを考慮して決められたもので、必ずしも州の境界線とは一致しません。

さらに、各地区の連邦準備銀行(地区連銀)は、それぞれ独立して運営されることになっており、下部に置かれた加盟商業銀行が地区連銀から資金を借り入れる際のディスカウント・レートは、地区連銀ごとに独自に設定されました。

また、公開市場操作(市場に流通する政府発行の債券を売買して、市場の資金量を調節し金利水準をコントロールすること)や市中銀行との取引も地区連銀が行いました。

当時(1913年)は、現在のように全米単位の経済政策を立案するといった考え方は発展しておらず、各地区連銀がそれぞれ地域経済のニーズに応じて行動していたため、公開市場操作も地域限定の影響力にとどまりました。そのため、理事会による政策決定と地区連銀による公開市場操作は、それぞれ独自の判断で行われました。

金融政策運営のためFOMCが創設された

しかし、通信や交通が発達するに伴い金融サービスも進歩し、州を超えた経済活動や金融取引が活発化するようになると、金融政策の効果的な運営のために、FRS全体の協力と調整が必要になってきました。

そこで、1933年の「銀行法」の制定と1935年の連邦準備法の改正を経て、「連邦公開市場委員会」(FOMC, Federal Open Market Committee)が創設されました。FOMCでは理事会と地区連銀の双方から参加メンバーが入り、両者の考えが1つの場で集約されます。

したがって、FOMCが設立される以前に問題とされていた理事会と地区連銀、あるいは地区連銀同士の間で見られた金融政策の齟齬(そご)をなくし、アメリカ全体で整合性のある金融政策を実施できるようになりました。

●第2回(世界中の投資家が注目するFRB―なぜこれほどに影響力があるのか)では、世界の金融市場に大きな影響を与えるFRBの決定事項とその具体的な内容について解説します。

『FRBの仕組みと経済への影響がわかる本』

工藤浩義 著
発行所 日本実業出版社
定価 1,980円(税込)