24歳で密航未遂、幕府を批判し「安政の大獄」で斬首

吉田松陰が現代でも人気の理由は、学問よりもその行動力にあるのかもしれません。

【黒船と海外密航を交渉】

1853年、ペリー率いる黒船が初めて日本に来航します。松陰は衝撃を受け、直接海外を見たいと考えました。翌1854年、静岡県下田に再び現れた黒船に松陰は乗り込み、アメリカへ連れていくよう交渉します。鎖国下の日本で海外密航は大罪。交渉は失敗し、松陰は萩市の牢屋「野山獄(のやまごく)」へ投じられてしまいました。

松陰は野山獄にあっても行動力を発揮し、囚人を相手に講義を行います。松下村塾は、この獄中講義も評判となって塾生を多く集めたようです。

【幕府政治を批判】

1858年、幕府が不平等条約として知られる「日米修好通商条約」に調印したことを知ると、松陰は士族の身でありながら幕府を猛然と批判しました。当時は幕府批判を取り締まる「安政の大獄」にあり、松陰も取り調べを受けます。

同年11月21日、「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留置かまし 大和魂(私が死んでも、国を想う気持ちだけは残しておきたい)」という歌を遺し、斬首されます。吉田松陰、わずか29年の生涯でした。

松陰の斬首は松下村塾の塾生や志士に大きな影響を与え、やがて討幕につながります。思想のためなら自身の危険を顧みない松陰の行動は、明治維新に決して少なくない影響を与えたでしょう。

吉田松陰の教えとは

多くの偉人を育て上げた吉田松陰はどのような教えを持っていたのでしょうか。本記事の最後に、松陰ゆかりの神社「松陰神社」が公開している「吉田松陰語録」から探ってみましょう。

・志荘ならば安(いず)くんぞ往くとして学を成すべからざらんや。

「志がしっかりしているなら必ず学問は成就する」

松陰が遊学中に記した「東北遊日記」に出てくる言葉です。松陰は「志」に関する言葉を多く残しました。何かを学ぶ上では、能力よりも強い意志が大切だと私たちに伝えています。

・天下に機あり、務あり。機を知らざれば務を知ること能わず。時務を知らざるは俊傑(しゅんけつ)に非ず。

「世の中のできごとには適切な機会と仕事がある。機会を知らなければ、その適切な仕事も知ることもできない。時局に合わせた仕事ができないなら、優れた才徳の持ち主とはいえない」

松陰が野山獄での議論をまとめた「獄舎問答」に出てくる言葉です。よい仕事のためにはタイミングを図ることが必要だと説いています。

・学問の大禁忌は作輟(さくてつ)なり。

「学ぶ上で最もやってはいけないことは、やったりやらなかったりすることである」

野山獄の講義録「講孟余話」にある言葉です。松陰は、何かを学ぶためには一貫して学び続ける姿勢が求められると述べました。

執筆/若山卓也(わかやまFPサービス)
証券会社で個人向け営業を経験し、その後ファイナンシャルプランナーとして独立。金融商品仲介業(IFA)および保険募集人に登録し、金融商品の販売も行う。2017年から金融系ライターとして活動。
AFP、証券外務員一種、プライベートバンキング・コーディネーター。