投資信託の本数のピークはバブル崩壊直後
日本の投資信託の本数を過去の時系列で見ていくと、バブル経済に沸いていた1989年当時は3000本台が続き、1989年12月に4000本に乗りました。
「景気が良くなれば株価は上がり、株式投資信託に対する関心度も高まるので、投資信託の新規設定が増えて運用本数が増える」というのが1980年代の流れでした。特に当時は追加型がほとんどなく、信託期間4年、クローズド期間2年というタイプの単位型投資信託が主流でしたし、「定時定型ファンド」といって毎月同タイプの単位型投資信託が継続的に設定され続けていましたから、投資信託の運用本数は増加の一途をたどりました。
ところが、バブル経済が崩壊して景気が冷え込んでからも、投資信託の新規設定はどんどん増えていきました。1989年12月に4073本と4000本台に乗せた後、1991年4月に5000本台に乗せ、1993年11月には6000本台に乗せました。そして1995年8月には過去最高の6457本を記録したのです。
理由はいくつか考えられます。当時、規制緩和によって投資信託会社が増えたことも一因でしょう。
1990年になって、それまでは国内証券会社の子会社のみに限定されていた投資信託業の門戸が開放され、まず外資系投資信託会社が参入し、1993年には銀行や保険会社など証券業以外の業態の子会社にも、投資信託業務への参入が認められたのです。
とはいえ、わずか4年8カ月ほどで2400本あまりも運用本数が増加したのは、投資信託会社の新規参入が増えたからだけではありません。もう1つの理由として、株価の下落と景気の冷え込みによって販売金融機関が収益を稼がなければならなかったという事情があったと思われます。