日本一のスリの大親分・仕立屋銀次とは

250名とも言われるスリ集団を束ねた仕立屋銀次(本名:富田銀蔵)は、本郷功次郎主演の映画『掏摸(すり)』や長谷川一夫主演の映画『七つの顔の銀次』にもなるなどドラマ性のある人でした。今日6月23日は、そんな稀代のスリの親分、仕立屋銀次が逮捕された日(1909年)。そこで、仕立屋銀次について深掘りします。

銀次は、もともと和服の仕立て職人で、御徒町界隈で弟子を取って仕事をしていましたが、使用人の女性と内縁関係になり、その女性はなんとスリの大親分「清水の熊」の娘でした。そこから、自分でもスリをするようになっていきました。

人望があったのか、才覚があったのか――清水の親分が亡くなった後、そのスリのビジネスを全て継承することになり、大金待ちに。長屋を50件以上所有する大家稼業も兼ね、自身は邸宅に数十人の子分らを住まわせ、贅沢な暮らしをしていたようです。

手下たちからの上納金があり、質屋を経営し、そこで盗品を捌く――まさに川上から川下までのビジネス構造を築きあげました。まるで、現代のサプライチェーンのような一気通貫のビジネスモデルだったのです。

また日暮里の村会議員となり、赤十字に寄付をして立派な市民として振る舞う“表の顔”がある一方、その裏では関西のスリ団と提携して“闇ルート”も開拓し、盗品の流通も広範囲で取り仕切っていました。

当時は、スリが東京市内にも1500人以上いたとも言われていて、スリの取り締まりはさして厳しいものではありませんでした。むしろ警察は情報を取るために、あえて泳がしてさえいたようです。実際に、警察官の中にはスリを捕まえても盗品を提出すれば逃していた、という例もあったとされています。少なくとも、スリの親分と警察は微妙な持ちつ持たれつの関係があり、見て見ぬふりをすることがたくさんあったのだと想像できます。

ところが、1909年元新潟県知事の柏田盛文が伊藤博文からもらった金時計をスリに取られ、被害報告を出したところで、運の尽きとも言うべきか――銀次は逮捕されたのでした。

社会の常識は、少しずつ変化していきます。伊藤博文が贈ったという“特別な”金時計をスリしたことから、今まで見過ごされていたこともいよいよ見過ごされなくなってしまいました。数十人が一緒になって働く一大ビジネス(?)としてのスリの時代は消滅して、盗品を捌くルートもなくなっていきました。

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冒頭で銀次が数々の映画で描かれたことはお伝えしました。他にも小説、演劇、さらにはゲームのキャラクター(桃太郎電鉄での“スリの銀次”)のネタ元にもなるなど、さまざまな脚色がなされて、今日まで多くの人を楽しませていたのも事実です。似た例でいえば、“天下の大泥棒”石川五右衛門は、歌舞伎や浄瑠璃、文学、最近では紀里谷和明監督の映画『GOEMON』でも描かれていますね。

スリも泥棒も今の価値観に照らし合わせれば犯罪なのですが、どこかそこにロマンを見出してしまうのが日本人なのでしょうか。

執筆/淡路 宏 テレビ番組の企画など、テレビ業界で長年キャリアを築く。最近は、投資信託やマネー関連のライターとして活躍。また、自身も株や投資信託に投資する個人投資家の一面も。