1.日本初の銀行、第一国立銀行(現 みずほ銀行)
日本初の銀行を設立したのは渋沢栄一です。栄一はパリ万博視察団の世話係だった銀行家ポール・フリュリ=エラールから銀行や株式会社などの仕組みを教わります。
一般から広くお金を集め事業を興して利益を分け合う資本主義に感銘を受け、日本のように豪商など一部の人にお金が集中する世の中では発展しない、社会にお金が広く行き渡ることで産業が興し経済が活性化して国が豊かになる、と考えるようになります。
またエラール氏が軍人と対等に話している姿を見て栄一は衝撃を受けます。「日本では商人は金を扱う卑しい者と蔑まれ、侍と対等に話すなどもってのほか。しかしここパリでは商人のエラール氏の方がむしろ尊敬されているではないか……」農家出身で幼い頃から日本の身分制度に疑問を感じていた栄一は、これを打破して差別なき世の中にするには、民間の実業界の地位向上が必要だと痛感します。
そこで帰国後すぐに栄一は銀行の設立に情熱を注ぎ、1873年(明治6年)に日本初の銀行で株式会社である第一国立銀行を創設。初代頭取に就任した栄一は「利に喩らず、義に喩る」(利益を追求するのではなく、社会発展という『大義』のために事を成すという意味)という理念を掲げます。同行は栄一の活動を支えるバックボーンとなりました。
その後、第一国立銀行は改組や合併を経て、現在のみずほ銀行に引き継がれています。
2.資金調達支援を担う、東京証券取引所(現 東京証券取引所)
明治維新の直後、政府内で「国民の賭博心を刺激する」として先物取引を禁止しようという動きがありました。しかし当時若き大蔵官僚だった栄一はこれに真っ向から反対し、「賭博と相場は別物」と主張して明治政府に禁止を撤廃させます。
その後、栄一は株式会社制度を広めるため銀行設立と併せて証券取引所の設立に奔走、1878年(明治11年)に東京証券取引所の前身となる東京株式取引所が誕生します。
現在でも自由経済の象徴として東京証券取引所では日々売買が行われています。その礎を築いたのは栄一だったのです。