生活のためのアルバイトが…
美月はデリバリーのアルバイトを始めた。体力的には大変だったが配達の件数をこなせばカフェのバイトよりも稼げたし、チェーン店や個人経営を含めてたくさんの店を覗くことができることも勉強になっていた。
美月はとある洋食店にデリバリー用のリュックを持って入った。
「こんにちは、受け取りに来ました」
「ありがとう。今、袋に詰めるからちょっと待ってて」
その洋食店は基本的には夜のみの営業だったけれど、昼は週に2回、弁当の販売のみを行っていた。
美月は店主の柏木を待つ間、落ち着いた雰囲気の店内を見渡した。木目のカウンターに暖色の照明、壁には手書きのメニュー黒板が並べられていた。カウンターの端にはコーヒーミルとドリッパーも置かれていて、洋食店なのにカフェのような温かさもこの店にはある。派手さはないが、どこを見てもこだわりが感じられた。
しかし、以前ならただ素敵なお店だなと感じるだけだったけれど、開業資金の重さを改めて実感してからは、いったいこの店を持つまでに、どれくらいの資金が必要だったのだろうと考えてしまう。自分もこんな風にこだわりの詰まった素敵な店を持てるようになるのだろうか。
やがて、奥からビニール袋を持った店主の柏木がやってきた。
「お待たせ。それじゃよろしくね」
「はい、ありがとうございます」
「いつも店内をじっくりと見渡してるよね? 何か気になることでもある?」
柏木に訊ねられ、美月は慌てて首を横に振った。
「す、すいません。じろじろ見ちゃって」
「いやいや謝ることじゃないよ。単純に疑問に思っただけ」
柏木は穏やかに微笑んだ。実は、と美月は言いかけて躊躇した。田浦にバカにされたことが脳裏をよぎった。
「……実は私も自分の店を持ちたいと思ってるんです。素敵なお店だなと思ったら、ついじろじろ見ちゃいました」
けれど正直に話したのは、きっとまだ信じたかったからだ。こんな素敵な店をやっている人が田浦みたいなはずがないこと。口にすることで諦めない自分がまだちゃんといること。
柏木の優しげに細められた目元にしわが寄った。
「嬉しいな。ここはさ。昔、かなり強引にサラリーマン辞めて始めた店で、楽しいことも辛いことも全部詰まってる場所だから、そう言ってもらえて嬉しいよ。ちなみに、どんな店を開きたいの?」
「カフェを開きたいと思ってて……」
美月はバイト中なこともあるので、ここまでの経緯をかいつまんで喋った。要領を得ない部分も多かったはずだが、柏木は丁寧に耳を傾けてくれた。
「山城さん、だっけ。今日、何時まで?」
「えっと、今日はこれが終わったらあがろうかと思ってました」
「なら、ちょうどよかった。もし時間あるなら、配達終わったら戻ってきてくれないかな。相談したいことがあるんだ」
柏木は急に真剣な表情になって言った。美月は意図が読めないままうなずき、弁当が冷めてしまう前に配達先へと急いだ。
●店長の嫌味と否定に耐えきれず、勤めていたカフェを辞めた美月。開業資金など現実を突きつけられながらも夢を手放せずにいた彼女は、デリバリーのバイトで訪れた洋食店で思いがけない出会いを果たす…… 後編にて、詳細をお伝えします。…… 後編【夢を笑われ職場を去った私に訪れた転機…開業を諦めかけた先で動き出した運命の歯車】にて、詳細をお伝えします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
