典江の誤算

高木の家は、学校から少し離れた古い住宅地の一角にあった。小さな庭の植木は短く刈られ、玄関先にも落ち葉はほとんどない。勝手に思い描いていたような荒廃した家ではなかったことに、典江は拍子抜けした。

しかし、怒りが消えたわけではない。呼び鈴を押すと、しばらくして、引き戸の向こうから足音がした。

「はい」

表に出てきた高木八重子は、小柄な女性だった。白髪を後ろでまとめ、薄手のカーディガンを羽織っている。

「どちらさまですか」

「沢村と申します。娘が、今日の帰り道でお世話になったようで」

高木は一瞬、目を細めたあと、何か思い当たったように表情を変えた。

「ああ、あの子のお母さん」

「娘が泣いて帰ってきました。突然怒鳴られて、追いかけられたうえ、腕を引っ張られたって言っています。どういうことですか」

高木は口を開きかけたが、すぐには答えなかった。その沈黙に、典江の苛立ちが増す。

「子ども相手に、そんなことをする必要がありますか」

「はい、必要があったからしました」

思いがけずはっきり返され、典江は言葉を詰まらせた。高木の声は落ち着いていて、噂に聞いていたような支離滅裂さはない。

「必要って、どういう意味ですか」

「お嬢さんは友だちに呼ばれて、信号を見ないまま横断歩道に出ようとしていました。車も来ていたんです。だから止めました」

「でも、娘はそんなこと一言も……」

「子どもですからね。自分に都合のいいことだけ覚えていることもあります」

高木の言い方に、典江はむっとした。梨歩の言葉を軽く扱われたように感じたからだ。

「でも、娘が怖がって泣いていたのは事実です」

「それは悪かったと思っています。でも、あのまま道路に出ていたら危なかったんです」

高木は玄関の柱に手を添えたまま、典江から目をそらさなかった。

「大声で怒鳴ったんですよね」

「危ない、と言いました」

「腕も引っ張った」

「車道に出そうだったからです」

1つずつ返されるたび、典江の中で、梨歩の話と高木の話が噛み合わなくなっていった。梨歩は泣きながら怖かったと言っていた。それは嘘ではない。しかし目の前の高木が、ただ子どもを脅かして楽しむような人には見えないのも事実だった。

「とにかく、子どもが怖がるようなことはやめてください」

「お約束できません。子どもが危ないことをしたら、また止めます」

しばらく睨み合ったあと、高木が口を開いた。

「立ち話では何でしょう。上がりますか」

典江は迷った末に、靴を脱いだ。抗議に来たはずなのに、話は全く思っていた方向へ進んでいない。このまま高木のペースに乗せられ、すごすご家に帰るわけにはいかないと思った。

●娘・梨歩を泣かせた「ダッシュ婆」こと高木八重子の家に乗り込んだ典江。しかし、怒鳴り込むはずの玄関口で、典江は思いがけず高木のペースに引き込まれ、気づけば居間へと上がり込んでしまう。噂の「怪人」の正体は、一体何者なのか…… 後編【娘を泣かせた“ダッシュ婆”に隠された過去…母が知った通学路の真実と意外なその後】にて、詳細をお伝えします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。