分かり合えぬ母娘

「期限過ぎちゃって、レポート出せなかったの」

さくらは肩をすくめた。

「それだけ、って……せっかく掴んだ内定なのに……」

そう言いながら、夏美の脳裏に苦い記憶が蘇った。

面接会場の暗い廊下、黒いスーツを着た若者の列、大人たちの冷たい視線。何十社も落ちた末、地元の中小に拾われたのは救いだったが、寿退社して専業主婦になったあとも、挫折した記憶は消えることはなかった。

「おばあちゃんだって、あんなに喜んでくれてたのに……留年で内定取り消しなんて、どう説明すればいいのよ」

非難がましく言った瞬間、さくらの目が細くなる。

「お母さんは吹聴した手前、引っ込みつかなくて恥ずかしいだけでしょ」

図星だった。後ろから頭を殴られたような衝撃が走り、かっと頬が熱くなる。

「違う。私が恥ずかしいとかじゃなく……」

「違わないよ」

さくらはソファの背から身を起こして、まっすぐに夏美の目を見据えた。

「いつも私のためって言うけどさ、結局、お母さんは自分が安心したいだけじゃん」

夏美は返す言葉を失った。視線を泳がせて、ヒントを探っても、さくらに何と答えればよいかわからない。沈黙の間に、時計の秒針だけが規則正しく音を立てる。

「……もう、いいよ。とにかく報告はしたからね」

しびれを切らしたさくらが立ち上がった。彼女のスリッパがせわしなく床を叩く。

「そうやって責めたいなら、勝手に責めれば」

吐き捨てるように言い、さくらはリビングを出ていった。

ドアが閉まる音が短く響く。

1人になった部屋で、夏美は湯呑みをじっと見つめた。

冷めきったお茶は、もう飲む気がしない。スマホを手に取り、通話画面を開きかけて止める。単身赴任中の夫は、おそらくまだ仕事中だろう。夏美はスマホをテーブルに置き、湯呑みを両手に持ってキッチンへ立った。レバーを上げると、やけに大きく水音が響いた。

●娘のさくらが大手企業から内定をもらい、誇らしげに周囲に話していた夏美。しかし、さくらから留年による内定取り消しを淡々と告げられた夏美は激しく動揺を見せ、分かり合えぬまま溝を深めてしまう…… 後編【娘の留年は意図的だった? 大手企業内定を蹴った理由は…母娘が取り戻した“本音で向き合える関係”】にて、詳細をお伝えします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。