夏美を待っていた予想外の報告
夕食の片づけが終わったあと、夏美は慣れた手つきで急須に湯を注いだ。こぽ、こぽ、と控えめな音がキッチンに広がり、湯気がふわりと立ちのぼる。
「はい、どうぞ」
「……ありがとう」
リビングのテーブルに湯呑み2つを運ぶと、さくらはそれを両手で包み込み、視線を落としたまま言った。
「お母さん……話したいことあるの」
「なに? 入社前の手続きとか?」
夏美は軽く返しながら、お茶をひと口飲んだ。
「私、留年することになった」
「……え?」
その瞬間、部屋の時計の秒針だけがやけに大きく響いた。娘の口から出た言葉の意味がすぐには理解できない。
「単位落としたの。だから、留年確定」
「冗談はやめてよ」
反射的に口が動いた。必死に笑おうとして頬がつっぱるのが自分でもわかった。
「さくらは、ずっと真面目に勉強してたじゃない。授業にもちゃんと出てたでしょ? 留年って、そんなこと……」
縋るように問いかけるも、さくらは小さく首を横に振った。
「本当だよ。これが今期の成績」
さくらはスマホを操作し、画面を夏美に差し出した。成績表の一覧に1カ所だけ「不可」の文字が混じっている。画面の光がやけに眩しくて、目の奥が痛んだ。
「さっき、お父さんにも知らせた。まだ既読はついてないけど」
絶句している夏美をよそに、さくらは淡々と言った。
「……内定は?」
「当然、取り消しだね。今年度卒業が採用の条件なんだから」
喉が急速に乾いて、言葉がうまく出てこない。湯呑みに手を伸ばし、冷めたお茶を胃に流し込む。親戚やママ友、近所の人から贈られた賞賛の声。彼らの好意的な反応に、誇らしげに応える自分。その場面が、覗き込んだ湯呑みの水面に次々と浮かんだ。
「会社には、週明けにでも連絡するよ」
何気ない調子で言ったさくらを見て、夏美は歯を食いしばった。
目の前の娘が、自分の知らない他人に見える。危機感のない落ち着いた口調。どうしてそんなふうに言えるのか。
「そんなふうに軽々しく言わないで」
夏美はソファの端に腰を浅くかけ直した。膝の上で重ねた手が、驚くほど冷たい。
「でも、もう決まったことだから。深刻になったって、仕方ないでしょ」
「仕方ない、ってあなたね……そもそも単位を落とすなんて、どういうつもりなの。4年間ずっと成績良かったじゃない。それなのに……」
