小型化されたモビリティーズが侵食する世界
小型化されたモビリティーズに侵食された世界では、移動時間は、移動をしながら遂行される仕事、ビジネス、レジャーなどの活動を中心にまわるようになっている。つまり、今日の輸送システムと新しい情報伝達技術の間に存在する複雑な結びつきが意味するのは、移動時間は個人にとって退屈で、非生産的で、無駄な時間ではなく、むしろ、職業上あるいは私的な活動において生産的に使われているという事実である。
小型化されたモビリティーズが登場する以前も、船の上で会議をしたり、電車で書類を読んだりする人もいた。しかし小型化されたモビリティーズの普及と新しい情報伝達技術が生み出した即時性、グローバルなデジタル・ネットワークの広がりは、以前の移動時間術とは次元を異にするレベルで、移動時間を生産的な時間へと変えた。生産性の向上と無駄の排除が高い価値を持つようになった現在、小型化されたモビリティーズの登場と普及が合流したことで、ますます成功するための移動時間術が広く支持を得ているのである。
こうした流れは、個人レベルの実践にとどまらず、商品やサービスの世界も侵食している。たとえば、コロナ禍を経て、鉄道各社が車内で作業する人向けの車両を導入・拡充したことは象徴的である。JR東日本はワーク&スタディ優先車両TRAIN DESKを導入したが、紹介文に登場する一節「新幹線での移動時間を、仕事や勉強・読書などの自分時間として有意義に活用したい皆さまへ。」は、移動時間の生産性向上=有意義とする価値観を提示している。
でも立ち止まって考えてみると、不思議な話である。本来、移動時間に何をするかは、個人の自由である。移動のどんな行動に意義を感じるかも、人によるだろう。ぼーっと窓の外の景色を眺めることも、目を閉じることも、読書をすることも、仕事をすることも、本質的に意義に優劣はない。
しかし、こうした広告とサービスは、明確に「何もしない移動」「成長や仕事につながらない移動」を価値の低いもの、移動中に作業や仕事ができることを意義の高いものと位置付けている。生産性やタイパの向上を目的とする移動時間術は、それ自体が“生産性至上主義”と結びつき、商品化され、提供されているのである。
なお、今回の調査からは、「移動時間は無駄だ」「移動時間には生産的な活動をしたい」と考える人の割合は、年収が高いほど強い傾向が示唆された。移動時間の捉え方にも、社会階層間で違いがあるようだ。
移動と階級
著者名 伊藤 将人
発行元 講談社
価格 1100円(税込)