こいつどうしようもないな
「葵」
荷物をまとめ終えて玄関に向かおうとしたところで、黙ったまま石像のように座っていた清志が顔を上げた。たぶんこれが最後の会話になるだろうと思ったから、葵はせめてもの礼儀を尽くして終わろうと、立ち止まって振り返る。
「葵、来月誕生日だったでしょ?」
「え、ああ、うん」
あまりに要領が掴めない話題に、思わず気の抜けた返事をしてしまう。
「レストラン、予約してあるんだ。銀座の、全然予約取れない鉄板焼き。あとプレゼントも」
「そんなのいらないよ」
「分かってる。でも、全部無駄になっちゃうからさ、その、お金だけでも返してもらえないかな……ゴルフクラブのローンもあるし、キャンセルするにもお金かかるし、プレゼントも……」
馬鹿言わないで、と声を荒げたかったが、開いた口がふさがらず、声はちっとも出なかった。ただ、どうしようもないなこいつ、と思った。
葵は何も答えず、靴を履き、清志の家を後にした。エレベーターを待っているときに、合鍵を返し忘れたことを思い出し、キーホルダーから外したあとで鍵をポストに投げ入れた。それからスマホを開き、メッセージアプリの1番上に星付きで居座り続けているアカウントをブロックした。
いつの間にか夜になっていた道を歩く葵の足取りは早く、そして軽い。それはまるで無駄にした時間を取り戻すようであり、余計な荷物がなくなったようでもある。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。