夫とは対照的な茉奈のこれまで
銀のスプーンの夫に比べると、私の人生はみじめなものだ。
物心ついた頃には父親はおらず、実の母は私を育てるのに必死だった。腎臓に持病を抱えながら、昼間は工場、夜は飲食店で寸暇を惜しんで働いた。そして、私が中学生の頃にはついに人工透析が欠かせなくなった。皮肉なもので、母親が働けなくなり生活保護を申請すると、生活費に加えて母親の医療費も行政が支援してくれた。
母親は私が高校生の時に亡くなり、私は子供のいない叔父夫婦に引き取られた。病弱な母親を見て育った私は、内科医になって腎臓病に苦しむ人を救いたいと考えていた。しかし、叔父夫婦も決して経済的に余裕があったわけではなく、むしろ私を迎えたことで日々の生活はかつかつだった。成績は学年でもトップクラスをキープしていたが、とても「医学部に進学したい」とは言い出せなかった。
やむなく国立大学の看護学部を選び、学費は日本育英会(現日本学生支援機構)の貸与型奨学金、下宿代や生活費はアルバイトで賄った。従って、私には大学時代の楽しい思い出などほとんどない。それは、看護師として病院に勤務してからも変わらなかった。
叔父夫婦に仕送りして奨学金を返すと、日々の生活は本当にギリギリだった。洋服にお金をかける余裕はなくほとんど着た切りスズメだったので、制服のあるナースで良かったと胸をなで下ろしたものだ。元夫と結婚した時点でも100万円以上の奨学金の返済が残っていたが、元義父の援助で一括返済することができた。その時、人生で初めて「何かに追われる生活」から解放されたような気がした。