金融教育における行動経済学的なアプローチの可能性
金融庁は、ホームページにさまざまなパンフレットや教材を掲載している。個人投資家を対象としたものだけでなく、小学生から中学生・高校生向け、さらに社会人になる人に向けて、かなりボリュームのある教材を公開している。金融知識についても、平易な言葉で説明するなど工夫がみられる。
「頑張って作成していることは伝わってきます。ただ、どうしても総花的にならざるを得ず、深い話はできない。動画なども作っているのですが、〝タイパ〟(タイムパフォーマンス)重視の今の学生は、早送りして見てしまうでしょう。普通に作っているだけではダメで、やはり、興味を持ってもらう工夫が必要になります」
渡邊氏は、行動経済学的なアプローチが有効だと考えている。行動経済学とは、人間の行動は、個人の感情や心理に左右されて必ずしも合理的ではないことを想定して、社会で人間がどのように行動するかを分析する経済学だ。従来の経済学である、人間は個人の利益を最大にするような合理的な判断に基づいて行動する、という理論とは一線を画す。
行動経済学で最も有名な理論の1つに、『損失回避の法則』がある。人間は無意識のうちに損失を回避する傾向があるというもので、そうしたテーマを落とし込んだ講義は、学生が関心を持ってくれるという。「行動経済学には心理学の要素があるので、学生にも思い当たる点がある。自分の身近なこととして考えることができます」
「インベストメント・チェーン」のインフラ強化も喫緊の課題
2024年からNISAが新しくなり、非課税保有期間の無期限化や口座開設期間の恒久化により、非課税となる保有限度額が増額される。「NISA制度の拡充自体は歓迎できますが、NISAを使って投資することを前提として、金融教育を普及させるという政府のやり方は考え物です。金融リテラシーもそうですし、税金や社会保険料、特に年金や健康保険に関することなど、投資する前に個人が知っておくべきベースの知識はまだまだあります」
教育が必要なのは学生や個人だけではない。金融庁は、インベストメント・チェーンの機能の強化を打ち出している。販売会社やアドバイザー、アセットオーナー、資産運用業者といった、インベストメント・チェーンに参加する各主体にも、能力の向上が求められていると渡邊氏は指摘する。「インベストメント・チェーンの担い手を育成するインフラが圧倒的に不足しています。個人に対して『貯蓄から投資へ』の旗を振る前に、政府が取り組むべき課題は山積しているのです」。やみくもに投資を推進するのではなく、現場の声を採り入れた金融教育全般の見直しが先決となりそうだ。
最後に、NISAやiDeCoといった税制優遇制度の活用によって、「貯蓄から投資へ」を実践し始めた資産形成層に向けたメッセージとして、渡邊氏はこのように語った。「税金面での有利さはフルに活用すべきです。ただ、今の相場つきから見て、今年から来年にかけて投資デビューすると『高値づかみ』でのスタートとなってしまう可能性は相応にあると思います。たとえそうだったとしても、一度投資を始めたならば一喜一憂せずに腰を据えて投資継続する胆力を持ちましょう」
渡邊隆彦氏・専修大学商学部教授
三菱UFJ銀行(現)にて主に市場業務、投資銀行業務を担当後、三菱UFJフィナンシャル・グループ コンプライアンス統括部長、国際企画部部長を歴任。2013年4月より現職。日本郵政「グループコンダクト向上委員会」委員等も務める。東京大学工学部卒、マサチューセッツ工科大学スローン経営大学院修了。