義理よりも人情の方が大事

「リア充ぶりのアピール」「高価なブランド物の購入」――それらの行為の多くは、自分をよく見せたいという「見栄」から生じるものです。私はこの「見栄」に加えて、「義理」にお金を使うのも、よく考えた方がよいと思います。

もちろん、社会人として生きていくためには、たとえ義理であったとしても、付き合いやお金を出す機会はやむを得ないケースがあります。でも、義理は最小限にしておくべきですし、特に、若いうちはともかく、定年近い年齢になってきたら、過剰に義理を果たす必要はないと思います。

私は60歳を過ぎて以降、自分で決めているあるルールがあります。それは、原則として慶事の出席は断るけれど、弔事は可能な限り出席するということです。もちろん、身内の人間やごく親しい友人自身が結婚する場合には喜んで出席しますが、相手も義理で呼んでいて、こちらも義理で出る結婚式には、理由をつけて出席しないようにしています。

でも、知人が亡くなった場合には、お通夜や告別式は何とか都合を付けて出席しますし、どうしてもできない場合には、供花を送ったり、後日あらためてお線香をあげに訪問したりするようにしています。

この理由は、「義理」よりも「人情」の方が大事だと思うからです。

人のためにお金(時間)を使う大切さ

近親者の葬儀を経験した方ならおわかりになると思いますが、自分が喪主として葬儀に臨む時、多くの人が来てくれたり、お花や弔電をいただいたりするのは本当にありがたいという気持ちになるものです。家族が亡くなった悲しみをほんの少しであっても癒やしてくれます。たとえばそれが自分の父(母)であった場合、想定以上に多くの人が参列してくれると、「ああ、父(母)はこんなにもたくさんの人に慕われていたのだ」という感情が湧いてくるでしょう。

つまり、葬儀やお通夜に参列すること自体が、多少なりとも遺族の心情を癒やすことにつながります。言い換えれば、「弔事」への参列は、人のためにお金(時間)を使うということなのです。

ところが結婚式の場合、一番うれしいのは本人たちです。もちろんたくさんお祝いに来てくれたらうれしいでしょうが、それは自分たちにとってごく親しい人であって、自分の両親の仕事関係の取引先や以前の上司などには、ぜひ出席してほしいという気持ちはあまりないと思います。全部が全部とはいいませんが、ある程度の年齢になってくれば、「慶事への参列は義理、弔事への参列は人情」というのが一般的だろうと思います。

結局のところ、突き詰めて考えていくと、「見栄」も「義理」も、人が自分をどう見ているかということに行き着くのだと思います。でも前述したように、自分が意識するほど人は自分のことを見ていません。

だったら、「人からどう見られているか」にお金を使うよりも、「自分がどれぐらい楽しいか」にお金を使った方がはるかによいと思います。

世の中に無駄なことなど何もありませんが、人との比較に使うお金、人からどう見られているかを意識するために使うお金だけは、使い過ぎない方がよいと思います。

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