東西冷戦の終焉とともに、日本経済の地政学的優位性も喪失
日本のバブル崩壊について、当時の英国の投資家は、なかなか興味深い見方をしていました。
彼らは冷徹なまでのグローバル投資家です。日本株の投資比率が5割にも達していたのは、地政学の観点で見てそうする理由があったからです。それは米国が日本を、当時の仮想敵国だった旧ソ連(今のロシア)を中心とする共産主義圏に対する絶対防衛線と捉えており、それが十分に機能するためには、日本の国力を高める必要があると考えていたからです。だから米国は、半導体をはじめとする最先端技術を、惜しげもなく日本に移植してくれたのです。
思えば、1982年に日本の首相に就任した故中曽根康弘氏が「日本列島を不沈空母のようにし、ソ連の爆撃機の侵入に巨大な防壁を築く」と発言したのが1983年のこと。日米は運命共同体であることを強調した発言で、さまざまな波紋を引き起こしました。
しかし英国の投資家は、米国が日本を共産主義に対抗する最前線として考えている限り、米国は日本の国力を増強するのに惜しみなく協力するはずだし、「だから日本株は買いなのだ」と判断していたのです。
日本株のバブル崩壊も、英国の投資家は地政学の観点から、「もう日本はダメだ」と見ていました。引き金になったのは、1989年11月9日のベルリンの壁崩壊です。
ベルリンの壁が崩壊したことで、第二次世界大戦の終結から続いてきた東西冷戦が幕を閉じました。米国にとっては、仮想敵国であるソ連を中心とする東欧諸国が急速に力を失っていくなかで、日本を共産主義に対抗する最前線とする必要性が失われたのです。
それどころか、その頃の日本は自動車、家電、半導体などで米国経済を脅かすまでに成長しており、徐々に米国は日本を敵視し始めました。英国の投資家からすれば、日本経済の地政学上の優位性は失われ、投資リスクが高まると考えるようになったのです。
実際、ベルリンの壁が崩壊した1か月後に、日本の株価はバブルピークを迎え、年を跨いだ1990年1月から、長期にわたる下落トレンドに入っていきました。