山一證券のロンドン駐在時に日本株バブルの崩壊を経験

私がピクテ投信投資顧問の社長に就任したのは2011年のことでした。なぜピクテに入社したのかについては後述することにして、まずは私のこれまでのキャリアから話をしていきたいと思います。

最初に入社したのは山一證券でした。なぜ山一證券を選んだのかというと、もともと投資に興味があったのも理由のひとつですが、やはり海外で働いてみたいという気持ちが強かったからです。金融業界という点では銀行に行くという選択肢もあったのですが、当時、国際化という点では銀行よりも証券会社でした。

あるいは商社で働くという選択肢もあったのですが、やはり投資に興味があったので、最終的には証券会社を選んだという次第です。

山一證券を選んだ理由は、面接の時に「国際部に行けるのでしたら御社に入ります」と申し出て、そのまま内定をいただいたからです。

ただ国際部で働くうえで、私にはひとつだけ問題がありました。それは、英語がてんで出来ないことでした。実は、ドイツ語は得意で大学でも第一外国語はドイツ語でしたが、英語は全くといって良いほどダメだったのです。

それでも4月1日の配属日には、海外投資顧問部への配属を命ぜられました。この部署は外人投資家向けのアナリスト部隊で、最初の2年半はアナリスト業務に加え転換社債や債券、トレーディングの勉強をしつつ英語も学び、1989年10月から海外勤務になりました。最初の勤務地はロンドンです。仕事の内容は、英国の投資家向けに日本株をセールスするというものでした。

私がロンドンに赴任した当時、日本株はバブルの最終段階でした。日経平均株価が3万8915円という最高値に向かって上昇している局面で、ロンドンの金融街であるシティでも、日本株のプレゼンスは非常に高かったのです。何しろ、私の顧客であったスコットランドの保険会社が保有するグローバル株式ポートフォリオに占める日本株の比率は、実に5割にも達していたのです。

まさに今とは隔世の感があります。私の前途は明るいと思っていたのですが、残念なことに私がロンドンに赴任した2か月後、日本株が崩れ始めました。バブルの崩壊です。