長銀の破綻を経て、ロンドンで金融学修士号を取得

英語上達+社費留学という計画はままなりませんでしたが、長銀での融資業務はまさに私が描いていた通りの「金融+コンサルティング」でした。融資先企業は私のような新人が訪問しても、財務部長が対応し工場を見せてくれます。私はその財務部長に必死にALM(アセット・ライアビリティ・マネジメント)や金利スワップの提案を行いましたが、私の提案なんて刺さるわけもありません。なにせ金利とは何か、マーケットとは何かということに関する実務経験も知識もないのですから。

この長銀だからできるはずの業務と自分の能力のギャップには本当に悩みました。そこで出した私なりの結論が「長銀証券」への出向だったのです。今でも「半沢直樹」というドラマの印象で、「出向」はあまり良いイメージがなく、出世競争に負けた人の片道切符などと思われていますが、長銀の証券子会社設立は当時の銀行にとっての重要戦略事業でしたし、そもそも、金融自由化が進むなか、マーケットを学ばなければならないと思っていた私にとって、そんなのはどうでも良いことでした。とにかく上司に出向を願い出て、長銀証券の債券部に配属されたのです。

債券部では、債券のディーリング業務に従事しました。債券を売買して収益を上げる仕事です。マーケットを学ぶという意味で、まさにうってつけの部署でした。日々、債券の売買をしながら、英会話や海外留学教室に通い続け、海外留学のチャンスを伺っていましたが、ここで想定外の出来事に出くわします。1998年、日本長期信用銀行が破綻したのです。

その影響は子会社だった長銀証券にも及び、UBSウォーバーグ証券に買われてしまいました。本来ならそこでリストラ対象になるケースもあるのですが、私はこの時若かったこともあり、そのままUBSウォーバーグ証券で働き続けることができました。債券ディーラーは給料も実績に応じて非常に高く、毎日の刺激的な仕事に不満は無かったのですが、社費留学でMBAを取得するという道は断たれてしまったのです。

そこで考えたのが自費で留学することです。ただ、それにはかなり莫大なお金が必要です。どうしたら良いかと考えていた時、勤務していたUBSウォーバーグ証券のロンドン駐在日本人スタッフが日本に戻ってくることになり、代わりの人間を派遣する必要があるという話が持ち上がりました。

チャンスだと思って手を挙げました。ロンドンで働きながら、ロンドンビジネススクールの夜間プログラムに通おうと考えたのです。そうすれば、働いて給料を得ながら学校にも通えるので、資金面での心配も無くなります。ただ、金融の世界で身を立てていくつもりだったので、MBAではなく、MiFプログラムで学ぶことにしました。MiFとはMasters in Financeのことで、日本語で言うなら「金融学修士」です。こうして2年間、ロンドンで働きながら学校に通い、金融学修士号を得ることが出来ました。そして、日本に帰国したのです。