理想的だったメリルリンチの証券営業

何が理想なのかということですが、まず日本の証券会社にありがちな「予算」がありませんでした。日本の証券会社では本社がその年の予算を決め、それを達成するためのノルマを各支店に割り振るのですが、それが一切なく、加えて「お客様重視」や「誠実」、「チームワーク」など、「5つのバリュー」と呼ばれている経営理念が徹底されていました。この経営理念をしっかり守ってくれさえすれば、あとはどのような営業をやっても良いという自由さがあったのです。

さらに、営業のサポート体制も充実していました。ワールドワイドに展開していたメリルリンチの調査レポートを自由に使うことができ、電話会議などで世界中のアナリストたちとコミュニケーションを取ることもできました。

このように世界最高の情報、世界最高のプロダクトを用意できるので、あとは営業担当の方がお客様のところに行き、そこで最低2時間かけてお客様のニーズや保有資産額などを伺い、顧客属性を把握し、リスク許容度なども勘案しながら、ポートフォリオ提案をする、というスタンスだったのです。本当に理想的な証券営業でした。

そして、私はメリルリンチ日本証券の千葉支店で営業をすることになりました。当初は本部スタッフの話もありましたが、当時のマネジメントと話し合った結果、メリルリンチ日本証券の立ち上げにあたり、支店網の整理などに関わった立場を考慮して、まずは支店営業からの方が望ましいとの判断になりました。

もちろん支店営業は山一證券時代でも経験していたので、特に異存はなく、毎日片道1時間半をかけて千葉支店まで通勤していたのですが、2000年のITバブル崩壊を機に、営業体制が大きく変わりました。

33あった支店網を、東京、名古屋、大阪、福岡の4店舗にするという大リストラに踏み切ったのです。これは日本だけでなく世界的に行われたことだったのですが、最終的には幅広いリテールビジネスからも撤退し、富裕層ビジネスに特化することになりました。

しかも、「5つのバリュー」という経営理念も一切、使われなくなり、お客様に販売する商品はヘッジファンド、仕組債、サブプライム関連商品などが中心になり、かつ手数料も非常に高いものばかりでした。カスタマーファーストからプロダクトファーストに大きく切り替わったのです。

大リストラが行われるなかで、私は千葉支店から東京支店に異動することになりましたが、正直、この頃から私の大好きだったメリルリンチには、魅力も感じなくなっていました。