<前回まで>
投資信託委託会社「コモンズ投信」の代表取締役社長である伊井哲朗氏に、これまでの経験を振り返って頂きました。伊井氏のキャリアは山一證券から始まります。支店営業で優秀な成績を収めながらも、顧客軽視の営業手法に疑問を感じ、社内提言を続けてきました。人事異動を機に社内改革を進める部署で若手メンバーとともに営業改革に着手。ただ、当時はバブル崩壊後の大きな変動期。証券業界は総会屋利益供与事件などが明るみとなり、やがて勤め先である山一證券も伊井氏の取り組みとは裏腹に、不正会計に端を発した影響などで破綻に追い込まれてしまいます…

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破綻した山一證券の人材と支店をメリルリンチが引継ぐ

1997年に山一證券が経営破綻した後、米国の大手証券会社、メリルリンチが山一證券の社員2000人と33支店を引き継ぐことになりました。破綻した当時、私は山一證券の債券営業部に所属していて、機関投資家を相手に債券を売買する仕事に従事していたのですが、山一證券の破綻後、メリルリンチから日本における新しい組織づくりに関する相談を受けるようになり、新しい日本拠点であるメリルリンチ日本証券に転職することになりました。

実は、山一證券で働いていた時から、私はメリルリンチに非常に関心を持っていました。理想的な証券会社だと思っていたのです。日本では1997年に当時の橋本龍太郎元首相(故人)が、「金融ビッグバン」という一大金融市場改革を提唱し、1998年には株式委託手数料の一部自由化が行われました。

米国では、それよりも20年早い1975年5月に「メーデー」と呼ばれる証券市場改革が実施され、証券手数料の完全自由化などからさまざまな商品やサービスが開発されていました。メリルリンチは、個人向けのリテールを中心とする大手証券会社として、その中心的な存在でした。まさに日本の大手証券会社が目指すべき姿と感じていたので、メリルリンチのアニュアルレポートを継続的に読み込んで、そのエッセンスを役員向けの資料や社長のスピーチ原稿に活用していました。

そのメリルリンチから声がかかり、新しくスタートするメリルリンチ日本証券で、私自身が理想だと思っていたリテール営業がスタートしたのです。