1896(明治29)年11月25~29日にかけて、神戸市で日本において初めて映画が一般公開されたのを記念して、1956(昭和31)年に日本映画連合会(現在の日本映画製作者連盟)が、「映画の日」の制定を試みた。ただ、11月25~29日は半端だとして、12月1日を「映画の日」とした。

多様化した映画鑑賞の方法

映画といえば懐かしい思い出がある。敗戦から徐々に復興しつつあった昭和30年前後だと思うが、夜間に小学校の校庭に大きな白いスクリーンが設営され、映写機で映画を映し出す映画鑑賞会があった。近隣の人が校庭に集まっての映画鑑賞だが、筆者も母に連れられて一度行ったことがある。滝廉太郎が作曲した『荒城の月』が流れる作品だったが、子供心にも哀愁が漂う作品だった。

また、江戸時代を舞台とした、剣劇を含む時代劇が盛んな時代でもあった。大川橋蔵や中村錦之助といった花形俳優が一世を風靡し、母親などが子供を連れて映画鑑賞に行く家庭も多かったようだ。

洋画では、映画解説者の淀川長治氏が、約32年間にわたりテレビ番組の『日曜洋画劇場』で独特の語り口による解説で、家庭での洋画鑑賞の普及に貢献した。中でも、解説の最後の決め台詞、「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」には懐かしさを覚える中高年の方が多いことだろう。アメリカの西部開拓時代の、いわゆる西部劇にのめりこむ人も多くいた。

また、当時は映画館が邦画分野と洋画分野に分かれていたが、1回の入場で3本の映画を鑑賞できる、いわゆる“3本立て映画館”もあった。1枚の入場券で、繰り返し同じ映画を鑑賞するツワモノもいた。映画館は比較的手狭で、画面と観客の一体感が顕著だった。観客が一斉に拍手をしたり、中には悲しみのあまり泣きじゃくる女の子も見かけたものだ。

時代は変わり、映画は映画館だけで鑑賞するものではなくなった。レンタルショップで、ビデオやDVDを借りて自宅で鑑賞するトレンドが長く続いた。しかし、今ではサブスクリプションの時代となり、テレビ・パソコンなどで時間を気にすることなく、自由にどこでも映画を見ることができるようになった。友人の中にも、このコロナ禍の中、某社とサブスクリプション契約をし映画浸りの男性がいる。時代の変遷を感じるとともに、映画は娯楽の大きな柱であり続けるようだ。