50年も前に今の世界を見通していた未来学者のアルビン・トフラーの誕生日は、1928年10月4日である。
ともに工員も経験したオシドリ夫婦の未来学者
日本の社会や文化に多大な関心を持ち、来日した回数が50回以上にもなるアルビン・トフラーは、ニューヨークで生まれ、大学もニューヨーク大学を卒業した。妻のハイジとは大学で知り合ったが、2人とも大学院へは進まないで、1949年にアメリカ中西部へ転居し結婚、ともに工場で働き始める。アルビンは溶接工を手始めにいくつかの工員労働者を経験したが、ハイジはアルミニウム鋳造工場で働き始める。しかし、ともに失業という挫折も経験した。
また、ハイジは労働組合の役員としても活動する一方、アルビンも組合紙の執筆に携わった。しかし、5年後にはワシントンに移住し、アルビンはフォーチュン紙などの執筆や講演活動を始め、ジャーナリストとしての活動を開始した。
おもな著作としては、1970年の「未来の衝撃」、1980年の「第三の波」、1990年の「パワーシフト」、2006年の「富の未来」があげられるが、最後の「富の未来」は、妻のハイジとの共著である。
学生時代から共同生活を始めた二人の考え方は、時とともに収れんし、共著の書物に集大成されたのだろう。アルビンだけの著者名となっている過去の書物も、ハイジとの日頃の意見すり合わせの産物とみることもできる。
二人には、カレンという一人娘がいたが、トフラーの著作等をまとめ上げる際の重要な助手の役目を果たしていたと言われる。ただ、難病を患い10年間も闘病生活を送った後、2000年に46歳の若さで死去した。夫妻の落胆は大きく、2006年刊行の「富の未来」の発刊が著しく遅延したと言われる。