2025年9月30日、日本証券業協会が発表した「個人投資家の証券投資に関する意識調査報告書」は、日本の個人投資家の実態を鮮やかに浮き彫りにし、金融市場が直面する大きな転換点を示唆している。2006年から毎年実施されるこの調査は、全国18歳以上の有価証券保有者5,000人を対象とし、日本の有価証券保有者の性別・年代構成を正確に反映するよう設計されている。本報告書は、新NISAと高齢化という二大潮流が、日本の金融市場構造に不可逆的な変化をもたらし、金融機関の「顧客本位の業務運営」が、もはや理念ではなく具体的な戦略と行動変革を伴う喫緊の課題であることを明確に示している。
1. 二極化する投資家像-終焉を迎える「一律提案」
報告書が示す最も顕著な変化は、日本の個人投資家像の「二極化」だ。回答者の45.3%を占める60歳以上の高齢層は、厚い資産を保有し、市場に大きな存在感を示している。一方で、新NISA効果により、市場への新たな層の流入が加速している。新NISA口座開設者に限定すると、年収500万円未満が66.9%、金融資産500万円未満が60.4%を占めるなど、これまで投資に縁遠かった資産形成層が投資市場に参入していることが明らかになった。
この二極化は、従来の「一律の商品・サービス提案」がもはや機能しないことを意味している。資産を厚く持つ高齢層と、これから資産形成を始める若年・低資産層では、投資に対するニーズ、リスク許容度、金融リテラシーが大きく異なる。一律の提案は、どちらの層にも響かず、顧客満足度の低下、ひいては顧客の離脱を招く危険性を孕んでいる。金融機関は、この二極化を前提としたパーソナライズ戦略への転換を急ぐ必要がある。顧客一人ひとりのライフステージ、資産状況、投資経験、リスク志向に合わせたテーラーメイドな提案こそが、これからの金融機関に求められる姿だ。
2. リスク管理の脅威-「新規投資家層の早期失望」
新NISAの口座開設率は回答者全体の82.1%に上り、制度の認知度と市場への参加意欲の高さを示しているが、その裏側には新たなリスクが潜んでいるように思われる。「新NISAを利用してよくなかったこと」として、「何に投資すればよいか分からなかった」が19.4%、「資産が増えなかった」が17.7%と高い割合を占めている。これは、新NISAを機に投資を始めた層の一部が、短期的な値動きや期待とのギャップにより、既に失望に直面している可能性を示唆している。
この早期失望の背景には、根本的な金融リテラシーの不足がある。証券投資教育の経験者はわずか18.1%にとどまり、「リターンとリスクは比例する」という基本的な命題の正答率が82.1%と比較的高い一方で、「債券価格と金利の逆相関」といったやや複雑な金融原理を正しく理解しているのは51.2%に過ぎない。
知識不足の投資家は、短期間で資産が増えなければ、すぐに解約や損切りに走りがちだ。これは単なる個人の失敗に留まらず、「やはり投資は難しい」「金融機関は信用できない」といった不信感につながり、市場からの恒久的な離脱を招くことになる。金融機関にとって、顧客の「早期失望」と「離脱」は、手数料収入の機会損失にとどまらず、社会的な信頼資本を失う最大のリスクであると認識すべきだ。金融機関は、単なる商品販売に終始するのではなく、顧客の金融リテラシー向上に貢献し、長期的な視点での資産形成をサポートする役割を果たす必要がある。
3. 「解約」対策:短期的な視点からの脱却
有価証券の売却理由を見ると、「利益確定」が74.9%、「損切り」が27.9%を占めている。この数字は、多くの解約が、長期的なライフプランに基づくものではなく、短期的な値動きや損益判断で行われている実態を浮き彫りにしている。
この現状に対し、金融機関は「売却後の次の一手」の重要性を顧客に理解させる工夫が求められよう。例えば、「利益確定後に再投資しなかった層の過去の資産推移」と、「利益確定後も積立・再投資を継続した層の過去の資産推移」を具体的なデータとシミュレーションで比較提示することで、顧客に長期的な視点での投資の有効性を実感してもらうことができるだろう。短期的な解約を長期的なリレーションシップへと繋ぎ変えるための、きめ細やかな情報提供とコンサルティングが不可欠だ。
4. 高齢層における「承継ニーズ」への対応:家族単位のウェルス・マネジメント
60歳以上で株式または投資信託を保有する者の間で、望ましい相続措置として最も多く挙げられたのは、現行制度にはない「NISA資産の非課税化」(34.4%)だった。これは、高齢層が税制優遇を活用した資産承継に極めて強い期待を抱いていることの表れと言える。
一方で、相続対策として「すでに実施している」「実施する予定がある」「興味がある」の合計割合を見ると、「株式や投資信託を売却し現金化」が50.8%と過半数を占め、「株式や投資信託の購入を見合わせ」(43.4%)、「生命保険を契約」(38.7%)と続き、金融商品の売買による調整が中心となっている現状が明らかになった。
金融機関は、単に制度改正を待つのではなく、現行制度を最大限に組み合わせた「ファミリー・パッケージ提案」を強化する必要がある。教育資金贈与信託、家族信託、生命保険など、複数の選択肢を個々の家庭の事情に合わせてテーラーメイドで組み合わせることで、顧客の多様な承継ニーズに応えることができる。
さらに重要なのは、親世代だけでなく、子世代をも同席させたコンサルティングを図ることだ。「資産形成」と「資産承継」を切り離すのではなく、家族単位のウェルス・マネジメントとして一体的に支援できる体制を整えることが、高齢層の信頼を獲得する鍵となる。これは、単なる資産運用のアドバイスに留まらず、家族の将来設計全体を見据えた総合的な金融サービスを提供することを意味している。
今回の報告書は、新NISAと高齢化によって、日本の個人投資家層が明確に二極化していることを示している。金融機関は、この変化に適応し、「顧客本位の業務運営」を真に実践する必要がある。特に、資産形成層への金融リテラシー向上支援と、高齢層への資産承継ニーズに対応したパーソナライズされた提案は喫緊の課題と言える。
短期的な収益追求ではなく、顧客の長期的な資産形成に貢献する「顧客成果」を重視したビジネスモデルへの転換が、今、金融機関に強く求められる。それは、単に商品を販売するだけでなく、顧客のライフプラン全体に寄り添い、金融知識の提供、リスク管理の支援、そして世代を超えた資産承継までを一貫してサポートする、真のパートナーとしての役割を果たすことを意味している。この変革こそが、日本の金融市場の持続的な発展と、個人投資家の豊かな未来を築くための礎となるだろう。