夫婦で食い違う塾選びの基準
そして数日後、勝美は1つの塾に目星をつけた。
小学校からも自宅からも近く、授業が終わる時間も遅すぎない。何より、拓海の仲のよい友達が何人か通っていた。
「あっ! ここなら知ってる子いるよ」
「でしょう? 一度、体験に行ってみてもいいかもね」
拓海も多少乗り気になった様子だった。その晩、勝美は帰宅した裕樹にパンフレットを見せた。
「ここなら拓海も通いやすいと思うんだけど、どうかな?」
裕樹はページをめくったものの、ほどなく眉をひそめた。
「こんなところじゃダメだろ」
「どうして?」
「進学実績も大したことないじゃないか。せっかく行かせるなら、もっとちゃんとしたところにしないと」
裕樹はスマートフォンを取り出し、自分が調べた塾を見せた。確かに実績は申し分ないが、自宅からは距離があり、拓海が1人で通うには不便な場所だった。
「ここだと送迎が必要になるよ。私が送り迎えすることになるし、それなら近くて続けやすい方が――」
「お前は何もわかってない」
ぴしゃりと遮られ、勝美は思わず言葉を失った。
決して送迎が嫌なのではない。息子のことを第一に考えて選んだものを、いとも簡単に切り捨てられたことがつらかった。
「でも……」
「拓海には俺から話す」
裕樹が選んだ塾について説明されると、案の定、拓海は反発した。
「嫌だよ。知ってる子もいないし」
「遊びに行くんじゃないんだ。友達がいるかどうかなんて関係ないだろ」
結局、裕樹の意見が押し通された。
初めての授業の日、勝美は車で拓海を塾まで送った。
助手席の拓海は窓の外を見たまま、ほとんど口を開かなかった。
「終わるころに迎えに来るからね」
「うん……」
のろのろと車を降りる拓海を見送り、勝美はハンドルを握ったままため息をついた。
それからも塾の日になると、拓海は憂鬱そうに支度をした。勝美は毎回車を出しながら、本当にこれでいいのだろうかと考えた。あのときもっと強く反対すればよかったのではないか。一方、裕樹は相変わらず家事に文句をつけ、夜になると酒を飲んで会社への愚痴をこぼした。
「どうしてこんなふうになっちゃったんだろう……」
もう裕樹の変化を、仕事で疲れているだけだと楽観視することはできなかった。酒の空き缶とアルコールの匂いが残る夜のキッチンで、勝美は静かに佇んでいた。
●妻・勝美の家事に突然文句をつけるようになり、息子の塾選びも自分の意見を押し通す夫・裕樹。酒量も増え、会社への愚痴を繰り返すばかり。穏やかだった裕樹に一体何が起きているのか…… 後編【「自分の居場所がなくなっていく…」酒とダメ出しばかりに豹変した夫…仕事の愚痴に隠されていた「SOSサイン」】にて、詳細をお伝えします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
