「なんでお客さんが来なくなっちゃったんだよ」

ところが、その日に限っては、「シフォン」店内にほかのお客の姿が見えなかった。いるのはカウンターの中で憂い顔を浮かべているママ一人。

「このところ、ずっとこんな感じよ」

「シフォン」のママ、柏木佐智子がグラスを洗いながらため息をつく。

「え? この時間ならもう誰か来てると思ったんだけどなあ。高木さんとか、山下さんみたいな常連の人が」

敏雄は二人の常連客の顔を思い出しながらそう言った。「高木さん」は、この近所で長年税理士を営んでいたご老人だ。80手前になっても矍鑠としていて、ほぼ毎日このスナックに顔を出していた。

「山下さん」はやはり地元で魚屋をやっている人だ。柏木ママが、先立たれた妻とよく似ていると言って、やはり足繫く通っている。

「ああ、高木さんに、山下さんねえ」ママがため息をつく。

「二人とも、すっかり顔を見せなくなったわ」

「おいおい、どうしたんだよ。そんな暗い顔をして。高木さんとケンカでもしたのか?」

なんとかママを元気づけようと、敏雄が冗談めかして聞いた。ただ、ママの表情は暗いままだった。

「高木さんとケンカ? そんなこと、するわけないじゃないの」

「じゃ、なんでお客さんが来なくなっちゃったんだよ」

「それは……」

柏木ママが答えた理由は、高柳敏雄がまったく想像もしていないものだった。