逃れられない現実と初めての対話
離婚してすべてをリセットするのは簡単だった。しかし、私の手元に残ったのは、二人で積み上げた45万円の家賃の負債と、私自身の空虚なプライドだけだ。亮平の借金は、彼が過去に見栄を張るために繰り返したリボ払いやキャッシングの積み重ねだった。
数週間の別居を経て、私はある決意をした。一度だけ、数字抜きで彼と向き合おうと。
再会したのは、かつての高級レストランではなく、チェーン店の喫茶店だった。
「今の本当の月収、いくらなの?」
「手取りで、25万。ボーナスもない」
「……そう。私は40万。合わせて65万。港区には住めないね」
私は初めて、自分の「条件リスト」をゴミ箱に捨てた。亮平も、不自然に整えていた髪を乱し、情けない顔でうなずいた。私たちは、互いの無能さと弱さを、初めて同じテーブルに並べたのだ。
現実を受け入れて見えてきた夫婦の絆
私たちはタワマンを解約し、千葉県の郊外にある築20年のアパートに移り住んだ。
ハリー・ウィンストンの指輪は売却し、借金返済の足しにした。今の私の指にあるのは、5000円のシルバーリングだ。
「今日はスーパーで卵が安かったよ」
仕事帰りの亮平が、ビニール袋を提げて帰ってくる。かつての彼なら絶対に選ばなかった光景だ。
私たちは毎晩、家計簿を広げ、1円単位で収支を確認する。それは、かつてのシャンパンでの乾杯よりも、ずっと泥臭くて、ずっと確かな共同作業だった。
「ねえ、亮平。私、年収1500万のあなたより、今の情けないあなたの方が、少しだけ好きかもしれない」
私の言葉に、彼は少しだけ照れくさそうに笑った。
完璧な条件、輝かしいスペック。そんなものは、一度壊れてしまえば何の意味もない。私たちは今、1500万円の負債という重荷を背負いながら、ようやく「本物の夫婦」としての第一歩を踏み出したばかりだ。
幸せの定義は、口座残高が決めるものではない。泥水をすすってでも、隣で一緒に歩める人間が誰なのか。その一点に尽きるのだということを、私はこの絶望の果てにようやく学んだ。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
