りくの暴走

昼下がり、希美はスーパーで買ってきた食材を冷蔵庫にしまっていた。まどかはまだ学校で、隆二も仕事に出ている。ピンポーン、とチャイムが鳴くように響いた瞬間、りくが廊下へ飛び出しかけた。

「りく、だめ。こっちおいで」

希美はすぐに抱き上げ、リビングの柵の中へ入れた。りくはその中でくるくる回りながら、小さく鼻を鳴らしている。扉をきちんと閉めたのを確かめてから、希美は玄関へ向かった。

「はーい」

ドアを開けると、外には段ボールを抱えた配達員が立っていた。背の高い男性で、やけに声が大きい。

「宅配です!」

声と同時に、たばこの臭いがふっと入ってきた。

希美は反射的に呼吸を浅くしながら、「ありがとうございます」と答え、荷物を受け取ろうと手を伸ばした、そのときだった。

家の奥から、がたん、と乾いた音がした。振り向くより先に、茶色い影が廊下を走ってくるのが見えた。

りくだった。

柵をどう抜けたのか分からない。ただ、まっすぐ玄関へ向かってきている。

「あっ、りく!」

声を上げたときには、もう遅かった。

りくは開いたままの扉の隙間から外へ飛び出し、配達員の足元へ突っ込んだ。

じゃれつくのかと思いきや、配達員が「うわっ」と大きな声を上げて1歩引いた、その拍子に、りくが脚に噛みついた。

「痛っ!」

低い声が玄関先に響いた。

希美は慌てて駆け寄り、りくを抱き上げた。腕の中でりくは、なおもばたつき、興奮したように荒く息をしている。

「すみません、すみません、本当に……! 大丈夫ですか……!?」

配達員は顔をしかめ、ズボンの裾を押さえた。布地に歯形がついているのを見た途端、希美は急速に喉が渇くのを感じた。

「え、それ……」

「いてて……、噛まれちゃいましたね」

そう言って裾をめくりあげると、足首にはうっすらと血がにじんでいる。

じゃれ合いやいたずらでは済まない。りくが人を傷つけた。その事実が、頭の中を支配した。

「本当に申し訳ありません。えっと、病院……救急車……」

「いや、そこまでは大丈夫です。ただ、どうしたらいいか……」

配達員は困ったように足元を見てから、「会社に連絡してみます」と言った。希美はりくを強く抱えたまま、何度も頭を下げるしかなかった。

●姉の頼みで子犬を引き取った希美。夫の隆二と娘のまどかはかわいがるばかりで、世話は希美に集中していく。そんなある日、柵を抜けたりくが訪れた配達員に嚙みついてしまい…… 後編【「知らなかったでは済まない」子犬が人を噛んで賠償金…ワンオペ飼育の先に気づいた家族の過ち】にて、詳細をお伝えします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。