約2億円の案件がふっとんだ
「え、朽木専務が、ですか……」
黒澤社長から応接室に呼び出された美乃里は、あまりのことに空いた口が塞がらない思いだった。
「そう。我々もまさかとは思ったんだが……」
そう言いながら、黒澤社長は、応接室のガラス製テーブルの上に、プリントアウトされた紙の資料の束を置いた。
「君も知っている通り、つい先月、うちはD社のカタログを失注してしまった。約2億円の案件だったが、ふっとんでしまったわけだ。その失注の理由が、実は、朽木専務の対応にあったらしいんだ」
黒澤社長が日に焼けた太い指で、資料をめくる。
パワーポイントで作成された文書には、「D社カタログコンペについての報告書」というタイトルがつけられていた。
「これはコンペに協力してもらったデザイン会社の報告書だ。ま、報告というより、告発文書と言った方がいいかな。この中には朽木さんから不正なリベートを要求されたことが書かれている。証拠の音声データもあるそうだ」
「リベート……。あの朽木さんが……」
美乃里は絶句しながらも、あの人ならやりかねない、という思いを飲み込んだ。
「残念ながら、朽木専務がクロなのは疑いようがない。本社にも報告せざるを得ないし、処分は間違いないだろう。他にも余罪があるかもしれないので、一応関わっている人全員にヒヤリングしているわけだ」
黒澤社長は額に手をあててため息をついた。心痛が続いたのだろうか、心なしかやつれて見える。
その様子を見ていた美乃里は、脳裏にピンと来るものがあって、思い切って黒澤社長に聞いてみることにした。
告発内容には不審な点があった
「あの、もしかして、佐藤専務を告発したのって……」
黒澤社長は答えにくそうに目を伏せたものの、うなずいた。
「朽木さんだ。今から考えると、あの告発内容には不審な点もあった。朽木さんのほうから佐藤専務に近づいて、罠を仕掛けて、セクハラっぽい発言を引き出したのかもしれない。佐藤専務さえいなくなれば、役員になれる。そう朽木さんは思ったんじゃないかな。どうせ判断するのは本社だから、細かい事情はわからない。証拠の音声データがあれば対応するしかない。本社もコロッと騙されたんだよ」
「まさか……」
美乃里は驚愕していた。それは、自分の予想が当たったことへの驚きというより、こんなにもしたたかな人間が世の中にいることへの驚きだった。
「ただ、朽木さんがリベートの件で追放されれば、佐藤専務の名誉は回復されるんじゃないかな。悪いことは続かないものだよ」
黒澤社長はため息をついた。
「人を蹴落としてでも出世したい。そんな人間はそこらじゅうにいるからね。君も気を付けたほうがいいよ」
人生経験豊富な黒澤社長の言葉に、赤城美乃里は思わず背筋に冷たいものが走ったような気がした。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
