どこに住んでいるか知らない

「え、それ、大丈夫なんですか⁉」

オフィスのフリースペースで声をあげたのは美弥子だった。麗香はコーヒーを淹れながら、「うーん」とあいまいな返事をする。

「心配だよね。トラブルだって言ってたし。何かあったんじゃないかと思って」

「……家とか行きました?」

「ううん。というか行ったことないからどこに住んでるか知らないんだよね。事務所兼自宅で休まらないからって、いつも外で会ってたし」

「それって……」

何かを言いかけた美弥子だったが、その先は言葉にならなかった。いや、しなかったというのほうが正しいのかもしれなかった。

だが麗香はこのとき、美弥子が呑み込んだ言葉の正体をすぐに知ることになる。「営業部エースの長田麗香がどうやら結婚詐欺に遭ったらしい」という噂が、いつの間にか広まっていたのだ。

これまで麗香に向けられていた尊敬や畏怖のまなざしには憐憫が入り混じるようになった。あの嫌味な営業部長にも「まあいろいろと大変らしいけど、仕事のほうはきっちり頼むよ」と含みのある言葉を掛けられた。職場はいつの間にか、至極居づらい場所になっていた。

薬師はと言えば、相変わらず連絡がつかなかった。メッセージを送っても既読はつかず、電話にも出なかった。再ログインしてみたマッチングアプリも、薬師のアカウントは削除されていた。

麗香が騙されたのだと納得できたのは、連絡がつかなくなって1ヶ月が経ったころのことだった。