見事な振り袖姿に
リビングの真ん中に置かれた鏡の前で、真央はじっと自分の姿を見つめていた。
濃い紫の振袖が、窓から差し込む清々しい朝の光で、送り出された夜空を固めたように朧な光を湛えている。
「すごく素敵……」
真央が、驚いたような声を漏らした。母は淡々と帯を締めている。その指先の動きは迷いがなく、流れるように美しい。
「帯はきつくないかい?」
「うん、大丈夫」
「雅子、ちょっとそっち持ってておくれ」
「これでいい?」
「違う違う。こうだよ、こう」
「こうってどうよ。こう?」
「まったく、着付けのひとつも満足にできなくてどうすんのさ」
「着る機会ないんだから仕方ないでしょう」
よどみなく飛び交う軽口を聞いていた真央が笑い、「ちょっと動かないで」と雅子と母の声が揃う。
帯の上から落ち着いたえんじ色の袴をまとわせれば、立派な卒業式の装いが出来上がった。
母は最後の仕上げにと、真央の髪を丁寧に結い上げた。
「髪飾りは、これがいいかね」
差し出されたのは、雅子が成人式のときに父にねだって買ってもらった小さなかんざしだった。
そのかんざしが新品同様の状態で箱から出てきたことに、雅子は心底驚いた。母は、これをどれだけ丁寧に保管してくれていたのだろう。
「……これ、ママの?」
「うん。昔、おじいちゃんに買ってもらったの。でも、これからは真央のものだよ」
母は無言のまま、真央の髪にそっとかんざしを挿した。
着付けを終えた真央の姿を見て、雅子は思わず息を呑んだ。
振袖と袴、そして母が整えた髪——どれもが真央によく似合っていた。
「……綺麗だよ」
そう言うと、母がちらりと雅子を見た。そして、小さくうなずいた。
「うん、よく似合ってるよ」
こうしてなんとか真央の支度は整った。
自分の役目は終わったとばかりに帰ろうとする母を半ば強引に車に乗せ、真央を大学まで送っていくと、早速会場の入り口で元気な声がかかった。
「真央ー! こっちこっちー!」
大きく手を振りかえす真央。どうやら待ち合わせしていた友人たちらしい。
今日、娘は大学を卒業する。自分のもとを立派に巣立っていく。
雅子は静かに、娘の肩に手を置いて言った。
「真央、行っておいで」
「……ありがとう、お母さん、おばあちゃん」
雅子と母を見つめながら、真央がそう微笑んだ。
そして、真央が駆け出すと同時に、春の風がそっと吹き抜けた。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。